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貴重な財産~上方落語家、東京で修業する:笑福亭里光


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大好評!笑福亭里光師匠の自叙伝第19回の公開です。今回は前回前々回から引き続きお茶くみの思い出をつづっていただきました。お茶くみ一つとっても多くのドラマがあるようですよ。

笑福亭里光師匠が前座だった2000年前後を思い出しながらお読みください。J-POPが元気な時代でしたが、演芸界は…?お読みください!

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貴重な財産

こんにちは。笑福亭里光です。

僕らの世界は毎年新人が入ってくることがない。 入ってくるかどうかも分からない。 ですから誰かが入ってこない限りは一番下のままです。

僕のすぐ下の前座としての後輩は、桧山うめ吉さんなんです。

え!?と思う方もいらっしゃると思います。 彼女は俗曲ですから。 ご存じの方も多いと思いますが、彼女は元々お囃子さんでした。 僕が入門した時もお囃子さん。

それから一年くらいしてから俗曲に転向したんです。 最近でいうと、桂小すみさんと同じですね。 で、転向するにあたって前座修行をやることになった。

でも噺家ではないので、一年という期限付き。 やっと後輩ができた!と思ったのも束の間、すぐに現実に引き戻されました。 一年経ったら居なくなる。

しかも寄席の世界では彼女の方が先輩です。 これはやり難いぞぉ・・ あ、でもちゃんと「先輩」として立ててくれました。 今でも「兄さん」と呼んでくれます。

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次に入ってきたのが桂枝六くんと枝七(今の東生亭世楽)くんです。 残念ながら枝六くんは辞めてしまいましたが。 これで新宿末廣亭や浅草演芸ホールではお茶くみはなくなりましたが、 それ以外の寄席では相変わらず一番下の忙しい毎日でした。

完全に「お茶くみ」を卒業したのは、さらに一年後の小あら(今の春風亭笑好)くんや花助(今の雷門小助六)くんが入ってきてからでしょうか。

ですから正味二年はお茶くみをやっていたわけです。

お茶くみ二年。これは長い方です。

でもね、おかげで色んな先輩方にお話しを伺うことができました。 だって一人につき三回お茶を持って行くんですから。 手渡す時に、ついでに色々と話をしてくれるんです。

昔のこととか、先輩方自身の失敗談とか。 談志師匠がフラッと寄席に遊びに来た時も、僕がお茶を出しました。 もちろん黙って受け取ってはくれませんでしたよ(笑)。

今ではそれらが貴重な財産です。

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談志師匠の思い出を少ししましょうか。 何回か遊びにいらっしゃいました。 実は寄席が大好きだったんでしょうね。

浅草演芸ホールだったと思うんですが、凄く忙しい時でした。 僕もまだそんなに慣れてない時でもありました。

お茶を持って行きますと「こういうの(お茶を指差しながら)雑巾の絞り汁とか入ってんだよな」と仰る。昔は嫌な先輩にそういうことをしたんでしょうね。 まぁ談志師匠らしい一言です。

でも当時の僕はそんな余裕なんかない。 普通にお茶を淹れるだけで精一杯です。 ボソッと独り言のようにつぶやいてしまったんです。

「そんな(雑巾の絞り汁入れたり)暇ないわ!?」

聞こえたんでしょうね。 「おお、そうか・・」とバツの悪そうに言いながら、僕の淹れたお茶を啜ってらっしゃいました。

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