1979年の伝説的投球、それが今も語り継がれる「江夏の21球」です。当時、広島大学に所属していた江夏豊選手が、この年の日本シリーズで魅せた投球を指します。対戦相手は近鉄バファローズ。手に汗握るドラマティックな展開に、40年以上経った今も色あせない一戦になっています。
マグナム小林先生に前回より引き続き「江夏の21球」について解説していただきました。今だからこそ見えてくるものもあるそうです。マグナム小林先生の観察眼の鋭さと併せてお楽しみください。
江夏の21球を解説!(中編)
前回は1979年広島対近鉄の日本シリーズ第7戦4ー3の9回裏近鉄の攻撃が無死満塁になったところまで解説した。
最低でも同点、普通に逆転がある場面。打者は代打佐々木。当時は日本シリーズはDHが使われてなかったので、マニエルを守らせる為に玉突き的に首位打者経験のある佐々木が代打に回っていた。
初球のカーブを見送り。そこでバッテリーはカーブ狙いに気付く。そこで2球目は真ん中やや外目のストレートを見送り。いくらカーブを狙っていたとはいえ、甘いストレートなら佐々木ほどの打者なら対応は可能だったと思う。手が出なかったのは雰囲気に飲まれていたのだろう。
3球目は甘目のカーブを引っかけてファウル。ライン際ではあったが、ファウルを打たせる球なのでバッテリーはそれほど驚かなかったと思う。ただ、ここまでコントロールは良くない。
ここで衣笠がマウンドに。ブルペンが動き出し、苛立つ江夏をなだめる為に。この場面、何度も見たが、江夏が苛立ってるようには見えない。それくらい微妙な変化に気付く衣笠はさすが。江夏はここで集中出来たという。
4球目は内角ストレートでボール。これは見せ球。5球目は4球目より少し甘いところから急激に曲がるスライダー。江夏はカーブと言っていたが、曲がりを見ると、今で言うスライダー。全盛期の岩瀬のスライダーのような球だった。それを前の球と同じような軌道から投げるコントロールが素晴らしい。
よく無死満塁や無死2、3塁、無死3塁で出てきた最初の打者が打ち取られると、その回、点が入らない事が多い。一度、データで調べて貰いたいけど。
最初の打者が凡打に終わると攻撃側、守備側、双方に大きな気持ちの変化がある。
守備側は、無死のピンチの時はとにかくアウトが欲しい。だから1つアウトを取れた事でピンチを脱出したかのような気持ちになる。
攻撃側は、後の打者に想像以上のプレッシャーがかかる。ここのチャンスを逃したら痛いなあとネガティブな気持ちになりやすい。
その心理の変化がこの場面でも大きく左右する。
(中編終わり)(つづく)
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