8月20日(火)19時から門戸寄席で開催される「阪急ブレーブスを思い出す会」に出演されるマグナム小林先生。野球マニアでよく知られていますが、その原点が阪急ブレーブスだったとか。今回はその思い出をつづっていただきました。
あなたの阪急ブレーブスの思い出もお聞かせくださいね。
懐かしの阪急ブレーブス
私にとっての一番古い野球の記憶は、1975年の阪急対広島の日本シリーズ。まだ4歳の頃。阪急が4勝2分けで初の日本一になったシリーズである。とにかく阪急が強くて、広島が歯が立たなかったという記憶である。阪急がというよりは山口高志さんに広島打線が歯が立たなかったと言った方がいいか。それくらい山口高志さんの速球は凄かった。
後に某パ・リーグOBに聞いた話では、その当時はどのチームもサイン盗みが横行していて投げる前にだいたい来る球種は分かっていたらしいし、山口高志さんはほぼストレートしか投げないから、来る球種は分かっていたのに、山本浩二さんや衣笠さんですら前に飛ばなかった。特に西宮球場のデーゲームだと夕方、照明灯の影がマウンドとホームベースの間に来るので、山口さんの球は消える魔球になっていたとか。
76、77年は巨人との日本シリーズ。そこで思い出されるのは足立投手。もうベテランになっていたし、シーズンではそれほど目立った活躍をしていなくても、シリーズでは俄然、力を発揮していた。巨人打線がシンカー(今、メジャーなどで言ってるシンカーとはちょっと違う、シュート回転しながら落ちる球)をとことん嫌がっていた。ことシリーズに関しては山田久志さん以上に活躍していた。あの当時の日本シリーズは、山田さん、足立さん、山口さんの3人で賄っていたようなものだった。
阪急の強さは守備だったと思う。特にショートの大橋さんは、大橋さんのために外野の芝を削ったというくらい守備範囲が広く、肩が強かった。今でも、ショートでは、私が見た中で3本の指に入る。サードの島谷さんの肩も強かった。今の選手より全然強かったと思う。セカンドのマルカーノはとにかく軽快な守備だった。
外野もセンターの福本さんはめちゃくちゃ守備範囲が広かったし、ライトのウィリアムスは正しく鉄砲肩だった。あの頃はライトはあまり守備が上手い人がいなかったから余計に目立った。後に俊足強肩の蓑田さんも入って鉄壁の守備陣になった。
あの頃の阪急は、ほぼ日本シリーズでしかテレビで見られなかったけど、セ・リーグのチームが歯が立たない、めちゃくちゃ強いチームという印象だった。1990年から92年の西武がそれに近かったような気がする。