誰しも熱心に何かへ打ち込んだことがあるのではないでしょうか。バイオリン漫談のマグナム小林先生は野球だったそうです。その野球の思い出について、今回つづっていただきました。
若き日に打ち込んで得たもの、それは野球の技術だけでなく…?甘酸っぱい思い出がよみがえるマグナム小林先生の野球談議第3回をお楽しみください!
高校野球と私
私は中学1年から高校3年まで野球部に所属してました。高校では硬式をやってました。
私は運動神経も良い方でもないし、野球も下手だし、今思えば、何でやってたんだろうと思う事もあります。野球が好きだったという事なのでしょう。
そんなに好きだったのかなあと思う事もありますが、今でも好きなのを考えたら相当好きなんでしょうね(苦笑)。でなければ、6年間続きません。
中学は公立の軟式だし、高校は弱小の公立高校だったので、あの当時としては比較的ノンビリ野球をやらせて貰えたと思います。
それでも今よりは全然、縦の関係は厳しかったですが。でも、殴られたりとかっていうのは6年間で一度もなかったです。
高校の最後の学年ではキャプテンをやってました。補欠なのに。強豪校なら補欠でもキャプテンというのはたまにありますが、弱小校では滅多にありません。
恐らく、部室の横の汚いトイレをピカピカにしたのでキャプテンをやれという事になったんだと思います(笑)。
野球の技術でチームを引っ張れないし、強気な人間でもないので、言葉で引っ張る事も出来ないし、正直、キャプテンという肩書きはストレスであり、プレッシャーでしかありませんでした。
今まで48年の人生で円形脱毛症になったのはこの時期だけです。
その時の経験で得た教訓は、私は人の上に立つのは向いてない、人の上に立たなければならない職業はやめようという事。その教訓は今に生きてます(人の前には立ってますが)。
野球をやっていて、今までの人生で一番嬉しかった事もあります。
高校の一時期だけですが、気が狂ったように打てた時期がありました。大袈裟でなく、バッティング練習で10球に9球はヒットを打てました。それまではみんなから打てない打てないとバカにされてましたが、そんな仲間たちも認めざるを得ないくらい打てました。
なぜ、打てるようになったかと言うと、2年生の秋から昼休みにウエイトトレーニングを始めました。それまでも冬のシーズンオフにチームで少しだけやりましたが、ほとんどやってないに等しかったです。
今ほどトレーニング理論が世間にあった時代ではありません。ストレッチという言葉が出始めたくらいです。本などを読んでのほとんど自己流でした。
その中でスイングを速くするにはどうしたらいいかと考え、バーベルのバーだけを肩に担いで体を捻るトレーニングを繰り返しました。今思えば体幹トレーニングです。
これを繰り返すうちに体の軸を中心に回れるようになりました。トレーニングの成果が出た時は本当に嬉しかったし、野球は打てるほど楽しい事はありません。
打てるようになったのを監督も気付いて、とうとう練習試合で四番を打たせて貰いました。それに対して誰も異論が出ないくらい打ってました。その試合はヒット1本だったかな。それでも一生の思い出です。
しかし、いい事は長くは続きません。
トレーニングに熱が入りすぎて、腰を痛めてしまいました。それと共にバッティングの調子も下降。結局、最後の夏も補欠でした。
大人になってからトレーナーをされてる方に聞いたら、そのトレーニングは間違ってないが、やり過ぎと言われました。私の体に10kgほどのバーは重過ぎたようです。
腰は今でも持病になってますが、全く悔いはありません。いい夢を見せて貰ったんですから。あそこまでやらなければ、あそこまで打てるようにはならなかったでしょう。
最近、誰かさんが言ってる「やれば出来る!」を体感出来ただけでも私の財産です。人生、もう一度戻れるとしたら、どこに戻りたいと言われたら、あのメチャメチャ打ってた時期ですね。でも、戻れても、キャプテンは絶対に嫌ですね(苦笑)。
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バイオリン漫談のマグナム小林先生の野球に打ち込んだ青春、いかがでしょうか。読者であるあなたの青春時代に打ち込んだものはなんだったのでしょう。お聞かせいただけると嬉しいです。
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