京都東山で54年続いている勉強会をご存知でしょうか。その名も「桂米朝落語研究会」。現在も人気を集める会です。ここで桂米左師匠は初高座をふんだそう。
研究会ですから、お客さんに楽しんでいただくことだけが目的ではありません。終演後、米朝師匠ご存命の時は厳しく優しく指導があったとのこと。今回はその時の様子を米左師匠につづっていただきました。
金毘羅さん
といいましても石松代参で有名な四国は讃岐の金比羅さんではございません。京都東山にあります安井金比羅宮の事です。
ここで行われている「桂米朝落語研究会」と言う落語会があります。
この会は昭和41年10月25日に始まり、以来偶数月に開催され現在も続いていて一門で「金比羅の勉強会」と言われてとても大事な会です。
直弟子はこの会で初舞台を務めさせていただきます。私もこの会で初舞台でした。まァ資料的価値はこっから先もないですが米左の初舞台の時の案内ハガキです。
ムダな事で紙幅を割いてしまいまして、すみません。
会の間師匠は袖から高座を見つめ、悪い箇所間違った箇所、それこそてにをはまでメモをし終演後それはそれは厳しい恐いダメ出しをされます。
この師匠のダメ出しが本当に厳しくて、兄弟子に伺うと昔は一人を集中的に、泣き出すんちゃうかというくらいダメ出しをしていたそうです。有難い事ですが、された方は帰りに四条大橋から鴨川へ飛び込むのとちゃうかというくらいの落ち込み様で、自分ではなくて良かったと思いながら帰ったと言うてはりました。
ですが歳と共にだんだんとやさしくなってきはったそうです。兄弟子によると米団治兄が入門されてから明らかに変わったと・・・はやり親子かなァと・・・。
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私の場合も優しかった時がありました。出番順にダメ出しがある訳ですが、次は私だなと身構えていると飛ばされて遂に最後までいき、私のダメ出しはなかった。
「あ、あの師匠、私は・・・?」
「うん、また言う」
「またって・・・お願いします言うて下さい」
頼み込んで言うてもらった事があります。あの時はホント引っくり返りましたわ。それまでそんな事なかったのに・・・。
会が終わると師匠は祇園に行きはります。
一人で行くのではありません。当日会に来た者で行ける者を全て引き連れて・・・まァ断る者は居りませんが・・・。
祇園ですのでお茶屋さんに行く事が多かったですね。そこに芸妓さん達が来たり。これは弟子達にお茶屋さんの雰囲気を味あわせてやろう、落語の中でしか経験していないお茶屋さんというものを実際に経験させてやろうという師匠の有難いお心だと思います。
ただ米朝がどこぞのお茶屋に居てるという情報が瞬く間に広まり、呼んでもいない芸妓さんが来はった事がよくありました。けど来るのは何年前から年金をもろてるねんという方ばかり・・・勉強になりました。
この会で師匠のダメ出しを聞いていると、自分の持ちネタでなくても「あァ、この噺はここが大事なのか」「こう演ればいいのか」等とても勉強になりました。出番がなくても空いている限りは必ず行っておりました・・・後の祇園を目当てに・・・違うっちゅうねん!
「金比羅の勉強会」という師匠が作った道場のお陰で落語の難しさ、奥深さをより一層知り判る事が出来ました。
願わくばもう一度師匠にダメ出しをして欲しい、と思うこの頃です。