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【特別寄稿】1973年の阪神タイガース:マグナム小林

マグナム小林
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7月22日(火)に動楽亭で開催される「山本和行がいた阪神タイガースを語る会」にご出演の、マグナム小林先生から山本和行さんにうかがいたいことをまとめていただきました。

前回は1979年の阪神タイガースでしたが、今回はそれより6年遡った1973年の出来事。令和では考えられないことがあったのだそう。それは…?

今回もマグナム小林先生の知性が光ります。じっくりお読みください。

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1973年の阪神タイガース

1973年の阪神タイガースは、投手陣が防御率リーグ2位、失点は一番少なかった。江夏、上田、谷村の3人で3/4の試合で先発で投げていた。しかも3人ともリリーフでも10試合以上投げていた。今では考えられない起用法だが、当時はそれが当たり前だったし、それで結果を出しているのだからそれで良かったのかもしれない。ちなみに江夏が24勝で最多勝、上田が22勝で2人でチームの勝ち星の3/4を稼いでいた。

当時は、今と同じくボールが飛ばなかったので、打線は打てない打てないと言われたが、それでも打率は4位ながら、ホームランは3位、得点も3位で極端に悪い訳ではなかった。と言っても、活躍したと言えるのは田淵、藤田、池田、遠井くらい。ホームラン37本、90打点の田淵も打率は2割5分台だった。

実は、この年、タイガースは選手による監督殴打事件が2度起きてる。殴るのは良くないが、それだけ監督に人望がなかったとも言える。

そんな状況にもかかわらず、シーズン後半首位となり、残り2試合でマジック1というところまでいったのはある意味、不思議だ。普通、それだけ監督不信であれば、そんな順位にはならない。ただ、チームが一つになりきれなかった事が最後の2連敗で優勝を逃す事に繋がったとも言える。

最後の2試合で中日に強い上田を先発させず、江夏を先発させたのも、いまだに謎となっている。

監督が殴られる状況下でも2位になるチームの状況を山本和行さんに聞いてみたい。

そしてシーズン終盤の後楽園での巨人2連戦の死闘、そして残り2試合でマジック1になってからのチームの状況、そして優勝を逃した後の状況も聞いてみたい。

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