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猫を被るか、猫を喰らうか――落語『仔猫』が映す、欲と仮面の歪み

ふじかわ陽子
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昨今、猫は可愛い存在として消費されがちです。しかし日本語の中に残る猫の姿は、必ずしも愛玩の対象ではありません。家の内と外を自由に行き来し、昼と夜でまるで別の顔を見せる。その振る舞いは、どこか油断のならないものとして受け止められてきました。

落語『仔猫』は、そうした猫の二面性を、人間の側へと引き寄せる噺です。決して派手ではないものの、終演後に心の片隅にふらっと棲みつく猫のような存在といえるでしょう。

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日本語が保存してきた猫

この「ふらっと」が猫本来の姿ではないでしょうか。音もなく近づいて、いつの間にか私たちの側にいるのが猫。

それは今でも使われることわざからもうかがえます。例えば「猫糞(ネコババ)」は、悪事を黙って自分のものにするという意味です。音もなく近づき、いつの間にか奪っている。猫とは気づいたときには、もうそこにいる存在なのです。

他にも、油断のならない様子は「猫に鰹節」、目まぐるしく変化することは「猫の目」、本来の姿を隠した静けさである「借りてきた猫」もよく普段から使われますね。

忘れてはならないのが「猫を被る」ではないでしょうか。最も日常で使われており、誰しもが意味を知っています。

では、なぜこれほどまでに猫は「信用ならないもの」として扱われているのでしょうか。

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境界を揺らがす存在-御簾を上げる猫

そのヒントは『源氏物語』にあります。主人公の光源氏が壮年期になった際のお話「若菜・上」に猫が登場し、光源氏の正妻である女三宮を隠す御簾を上げてしまうのです。これにより女三宮は青年に姿を覗き見られ、禁断の恋へと堕ちていきます。

御簾は「内と外」を区切る境界線であり結界のような存在。それをやすやすと猫が破るというところに、象徴性があります。猫は人の論理の外にあるものとして描かれているのです。

これを踏まえて落語『仔猫』を見ていくと、単なる怪異譚とはいえない本来の姿が見えてきます。

落語『仔猫』にもこの「内と外」は描かれています。舞台は商家の町である船場、そこに田舎からおなべという女性がやってきました。まず最初に描かれる「内と外」がこれです。船場が「内」、田舎が「外」といえます。

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侵略される恐怖と覗き見たい好奇心

おなべという「外」の存在が船場という「内」を乱す存在であることは、彼女の容姿の「おもろい顔」という形容からうかがえます。最初から、秩序の外に置かれていることを示しているのです。もう彼女自身が「猫」のような存在なのです。平安な日常を、田舎という「外」から乱します。

しかし、おなべは日中、人の三倍働き、徐々に「内」からの信頼を得るように。よく働き、よく気が利き、誰からも文句を言われない。「外」から来た存在は、「内」に溶け込むことでしか生き延びることができませんから、一生懸命だったのでしょう。

その分、夜になると自分の「内」を「外」に出すべく、奇声を上げながら本来の姿に戻ります。それに気付いた店の男衆は恐怖に包まれながらも、おなべの素顔への好奇心を抑えることができません。

そこに登場するのが、今風でいうなら収納ケースの行李に入った仔猫の皮です。おなべがかじった残骸。ここでようやく落語『仔猫』に猫が登場します。

つまり、御簾が上がったのです。

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猫を被っていたのは誰か?

御簾が上がり見えたのは、おなべの醜態だけではありません。覗き見という行為そのものが、彼ら自身の内側に潜む下卑た好奇心、普段は隠している「内」を「外」に露呈させてしまったのです。

こうした演出は、境界を揺るがす存在として描かれてきた猫だからこそ成立したのでしょう。サゲの「猫を被ってたんやな」だけのために、猫の皮を出したのでは決してない。『仔猫』が成立したころには、もっと深く理解されシニカルな笑いが生まれていたはずです。

余談ですが、上方で「猫」といえば「芸者」をさす隠語でもあり、それを「かじる」ということは、「少し嗜む」と受け取ることもできます。これを踏まえて落語『仔猫』を観ると、また違った景色が見えるかもしれませんね。

現代の可愛いだけの猫、だけど…

現代の私たちは猫を可愛い存在として、安心して共に暮らしています。お金や時間は吸い取られるものの、それも可愛い存在のためならば痛くもありません。

でも、忘れてはならないのです。猫は境界を揺らがす存在だということを。そして、普段は猫自身も「猫を被っている」ということを。

また、私たちも猫を通じ、「猫を被っている」ことはないか見つめ直す必要があるかもしれません。猫をかじるほどの「内」を失っていないか、と。

落語『仔猫』は、その問いを笑いの中に忍ばせた噺ではないでしょうか。

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