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①自己紹介~師匠桂米朝と過ごした日々:桂米左

寄席芸人コラム
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「古き良きものを守る」、噺家といえばこのイメージがあるのではないでしょうか。その中でも、桂米左師匠は特に古き良き昭和を愛する噺家です。「米左」なのに「右」に出る者はいないほど。

その米左師匠の師匠は人間国宝の三代目桂米朝師匠。今回のコラムでは、米左師匠の生い立ちや米朝師匠との出会いについて綴っていただきました。

軍歌や昭和歌謡が大好きな米左師匠の原点は、ここにあり!初めて買ったレコードはまさかの……。

自己紹介

『寄席つむぎ』さんからの御依頼で、コラムを担当させていただく事になりました桂米左でございます。

とりあえずは筆者の自己紹介から。

桂米左・・・「よねざ」です。

米朝の弟子ですので「べいさ」と言われることもありますが「よねざ」です。

私は桂米朝の十九番目の弟子で、今年で三十七年目の噺家です。

米朝には多くの弟子が居りまして直弟子が二十二人。その十九番目の弟子が芸歴三十七年目。直弟子も高齢化が進んでおります。

上方落語界には四天王と呼ばれる師匠方が居られます。

六代目笑福亭松鶴師匠、三代目桂春団治師匠、五代目桂文枝師匠、そしてうちの師匠、三代目桂米朝。

この四人の師匠を上方落語四天王と言います。それぞれの師匠の思い出、芸談等をそれぞれの直弟子が書くコラムです。

私が子供の頃は土曜日も学校が有り半ドンでした。

懐かしいですね「半ドン」

この「半ドン」と言うのは・・・長くなるのでご自分でググって下さい。

学校から帰ると午後は吉本新喜劇、松竹新喜劇、道頓堀アワー、お笑いネットワーク等の番組が夕方まで続き、それをずっと見て育ちました。

また、家の前にはおばあさんがやっている駄菓子屋があり、そこでずっと厭きずにお婆さんの話を聞いておりました。

太平洋戦争中に「米英撃滅」と書いたプラカードを持って堺筋を練り歩いた話や、歴史の話とか民謡を聞かせてもらったりとか。

そんな環境で育った子は懐メロのラジオ番組が大好きと言うごくごく普通の子供時代を過ごしました。高校生の時に初めて買ったLPレコードは『義太夫さわり集』というポップでナウなヤングになりました。

私の落語の初体験は前述の「道頓堀アワー」と言う番組です。道頓堀角座の中継番組で師匠米朝の「替り目」でした。(ネタは後に判明)

「酒を呑んでは茶瓶のふたをつまみ、茶瓶のふたをつまんでは酒を呑み・・・」と言うセリフを妙に覚えていて、思い出し笑いをしていた気色の悪い小学生でした。

そういう育ちですので自然と落語が好きになり、落語会を探しては行くようになりました。

高校に入学すると落語研究部に入り、どんどん落語熱が高まりました。当時の名物番組「素人名人会」に出演し、なんと名人賞を頂き「俺はいけるのと違うか!」と言う間違った自信で師匠に入門を願いしました。

そんな桂米左が師匠米朝に入門しましたのが昭和59年(1984)3月27日。その日以来、亡くなる平成27年(2015)3月19日午後7時41分までの1万1314日間、師匠の弟子で居させて頂きました。この間教えていただいた事、学ばせ頂いた事、怒られた事、いろいろあります。

それらの事を少しでもお伝えできればと言うコラムでございます。

拙い文章でございますが、よろしくお付き合いくださいます様お願い申し上げます。

次回予告

桂米左師匠の次回コラムは、6月14日を予定しています。今回は米左師匠ご自身の紹介でしたが、次回は三代目桂米朝師匠の紹介です。お楽しみに!

米左師匠はブログ(https://ameblo.jp/rice-left/)も随時更新中。米左師匠が日常で感じることをつづっておられます。要チェックです。

執筆者
桂米左

昭和40年大阪府大阪市に誕生
昭和59年3月、三代目桂米朝に入門
スマートな容姿と端正な語り口の正統派上方落語家。長唄囃子望月流の名取の一面も持つ。錦影絵の復興にも取り組み、時代の波に消えゆくものを守ることに心血を注ぐ。カラオケでは昭和歌謡を好み、休日に楽しむDVDは昭和の時代劇や特撮映画。古き良き時代を愛し深く追求するからこそ、過ぎ去った浪花の風景を高座で再現ができる。

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