落語家の修業といえば、内弟子が当たり前の時代もありました。しかし、現代で内弟子修業を経験している落語家はほとんどおられません。
桂米左師匠は米朝師匠のもとで内弟子修業を送った、今では珍しい落語家です。さて、どのようなものだったのでしょう?
外からはうかがい知れない内弟子修業、貴重な体験をつづっていただいています。じっくりと読みたいですね。
内弟子
米朝の弟子は師匠の家に3年間の住込みの内弟子です。現在は住宅事情等で住込みの弟子を置いているところはないのではないかと思います。
内弟子と通い弟子との違いは家族になるかならないかと私は考えてます。内弟子通い弟子共に師匠との絆は同じですが、内弟子の場合は師匠の家族との縁も深くなります。殊に奥さんとの関係が内弟子生活に大いに関わってきます。
師匠にも言われました。
「とにかくな、お母んを怒らす事だけはするな。」
そうです、奥さんをしくじると内弟子生活は茨の道です。反対に奥さんにはまる(まァ機嫌を損ねず)と内弟子生活は茨の道ではありません。
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師匠の家には内弟子部屋があり、そこで寝起きをしております。
内弟子の生活はというと、朝は7時に起床、前日どれだけ遅くても7時に起床。家の掃除、庭の掃除、犬の散歩(名前はロバ…けったいな名前)が終わって朝ご飯を頂く。
10時に師匠を起こして師匠の部屋の掃除。2人居ましたので師匠の仕事のお付きでどちらかが着いて行くと残った者はお買い物等用事をこなす。
稽古は師匠の空いた時間にして下さる。
奥さんが若柳吉古錦(きちこきん)という日本舞踊の師範でしたので、週一回お稽古があり我々内弟子も踊りのお稽古をして頂きました。有難い事なんですよ。噺家としての素養の一つをタダで教えてもらえるんですから…
けどもっと一生懸命稽古しておけば良かったと後悔しています。
奥さん、ごめんなさい。
師匠が帰って来られお風呂、晩ご飯。晩酌のお供に弟子を呼ぶか息子さんを呼ぶか、我々内弟子を相手にするかそれはいろいろ。
で就寝という事に。
師匠はすごい肩こりでお休みになるまでマッサージ。この時間がとても大事な時間でして、名人上手の話や噺のポイント、昔の風俗の話等いろいろして下さいます。こちらの質問にも答えて下さり本当に有難い時間。有意義な時間でした。
この時の話を全て録音し、記録していたら今頃私は上方落語界に於いて確固たる地位を築いていた事でしょう。
ですが情けないかな眠たい盛りの年頃、睡魔に負けて半分以上覚えていない…もったいない。
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内弟子を置くというのは奥さんにとって、また家族にとってとても負担になる事だと思います。なんせ赤の他人を家に住まわし、プライベートなんかなくなる訳ですから…ですがこんな者でも3年間育ててくださいました。
奥さんにはただただ感謝しかありません。
家族になるかならないかと書きましたが、忘れられない一時がありました。
息子さんの帰りが遅く、兄弟子も卒業した家には師匠と奥さんと私の3人。
夕食の時に奥さんが
「米左君、晩ご飯で来たからチャーチャン(師匠の愛称)呼んできて」
「はい」
食卓に付くとお茶碗が伏せてあり、それぞれにおかずが置いてあり、奥さんがご飯をよそってくれはって「米左君おかわりは?」とまたよそってくれはって、弟子がしなければいけない事を全部して下さり本当の家族の団らんみたいで幸せな時間でした。
この時の事は忘れられず師匠の弟子にして頂き本当に良かったと思った一時でした。
…めでたしめでたし…
何のこっちゃ!