桂米朝師匠の稽古は、昔ながらのやり方です。効率という面で考えたら、とても面倒くさいものです。それでもこの稽古方法を取っておられたのは、伝えなくてはならない大切なことがあったからだそうです。
その大切なことについて、弟子である桂米左師匠につづっていただきました。米左師匠が今も「糧」になっていることとは?お楽しみください!
続・稽古
米朝の稽古は前回述べましたように昔ながらのやり方です。今でもそのやり方が主流ですが、最近はCDやDVD、果てはyoutubeで覚えて演るという強者も居ります。
そら基礎が出来ていてそれなりの年季ならそれも有りですが、若いうちからそういうやり方はちょっとなァ・・・と思います。やっぱり稽古に伺うのがホンマなんで・・・。
稽古は台詞仕草を教えて頂く事は当然ですが、その噺の背景風俗当時の価値観を教えて頂く事が大切なのです。
もっと大事なのがその師匠がその噺に対してどういう考えを持っているか、登場人物がどんな心理なのかというのを教えてもらう事です。ここで初めて「落語の稽古」が成立すると思います。
米朝は殊にこういう事を大事にしてました。落語の裏の話が長い時もありました。ええ時間を過ごさせてもらい私の糧にもなっています。
駆け出しの頃は「ワシが教えた通りにやったらええさかい」とよく言われました。考えてみるとすごい言葉です。自分に絶対的な自信、確かな稽古をしたという思いがなければ言える言葉ではありません。
現に教わった通りにやれば大丈夫でした。有難さと師匠のやさしさを感じました。
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多忙を極めていた時期でも稽古で手を抜く事はありませんでした。月に一回は必ず稽古日を設け朝10時から夕方5時までみっちりと一門関係なく厳しく稽古しはったそうです。
考えると大変な事です。私みたいな者にも稽古に来てくれる人が居ますが、一人稽古を付けただけでもすごく疲れます。
それが10時から5時まで何人も、それだけ使命感を持ってやってはったんやと思います。
とてもやないが私はようしません・・・済みません。
内弟子が二人、三人と居るとそれぞれ違う噺を稽古してもらいます。これは横で聞いて覚えろという事で、現に師匠の前に座って緊張で固まっているよりも横で聞いている方が覚えられます。
ネタを一本でも多く覚えさせたいという師匠の親心でしょう。やさしい師匠です。
お陰で私も米裕兄が稽古してもらった噺を覚え何本か演っております。
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内弟子修行が終わりに近づくと「最後のネタやけど何がええ」とリクエストに応じてくれはります。やさしい師匠です。
私は『不動坊』をリクエストして見事採用されました。この時にも師匠に改めて言われました。
「ワシが師匠に言うてもろた通りに教えるさかい」
ですので私の『不動坊』は米団治⇒米朝⇒米左と連綿と由緒正しく引き継がれております・・・そんな大層な!
覚えが悪く稽古では常に師匠をイライラさせておりました。
ある日の稽古の時、兄弟子も含め皆で師匠をイライラさせておりました。と、おもむろに立ち上がり書庫から買い置いている太鼓を打つ長バチを持ってきはりました。
「ウワッ、あれでどつかれるんや!」
と一同でビビッておりますと師匠が
「なんでこんなもんあるねん」
こけそうになりました。・・・やさしい師匠です。