プロ野球伝説の一戦「江夏の21球」が誕生したのは、1979年のこと。この年は、アメリカ合衆国が中華民国と国交断絶、代わりに中華人民共和国と国交樹立と世界的な出来事があった年です。日本に目を向けると、今も愛されている「うまい棒」が発売された年でもあります。
このコラムを執筆してくださっているマグナム小林先生は、小学2年生でした。大人になった今、マグナム小林先生が感じる「江夏の21球」とはどのようなものだったのでしょうか。今回もじっくりお楽しみください。
江夏の21球を解説!(後編)
1979年日本シリーズ第7戦広島対近鉄は、9回裏無死満塁から、佐々木の三振で一死満塁となった。
ここで迎える打者は石渡。投手は江夏。力関係から考えると、スクイズは充分考えられる場面だ。
西本監督は打てと言ったと言うが、石渡はスクイズもあるぞと聞いている。あの場面でどっちが可能性が高いかと言われれば、石渡の方だろう。
1球目、カーブをストライク。全く打つ気なし。石渡とすればスクイズもあるぞと言われて1球目から打つ訳にはいかない。
ただ、2球目もストライクなら追い込まれてしまう。するならここしかない。当然、西本監督のサインはスクイズ。
そしてあの場面になる訳だが、よくあれは偶然だとかスッポ抜けだと言う人がいるが、スッポ抜けた変化球は曲がらない。あの外した球は落ちた為に石渡はバットに当てられなかった。スッポ抜けだったら当てられたはず。
偶然というのも説得力がない。なぜなら江夏はコントロールがいいから。抜けてあんなところに行く投手ではない。カーブのまま外したというのは本当だろう。
ただ、補足すると中編でも述べたように江夏のカーブはスライダーに近いので、それほど捻らないので外せたというのはあったと思う。
それでもカーブの握りのまま外すというのは、高度化した今の野球でもやれる投手はほとんどいない。恐らく、江夏のここまで修羅場を潜ってきた経験と、恐ろしいほどの集中力がなせる業と言える。それを日本シリーズ第7戦9回裏のあの場面で出来る江夏は常人ではない。
あの場面、私が監督ならどうするかと聞かれたら、無死1、3塁で1塁走者を走らせずに平野に打たせる。勝負せざるを得なかったから江夏も嫌だっただろうし、守ってる広島も嫌だったと思う。何より気持ちが前に出る平野が一番打ちそうな雰囲気だった。あの場面での江夏対平野を見たかった。
江夏の21球の解説で野村さんは、開き直りという言葉をそう簡単に使ってはいけないとまとめた。私が敢えて言うなら、勝負に偶然はない、全て必然で動いてると思う。そう結論づけたい。
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