ドリームマッチはどの世界でも心躍るもの。笑福亭仁嬌師匠もドリームマッチに胸弾ませたのだそう。笑福亭仁嬌師匠がワクワクしたのは、もちろんプロレスのドリームマッチです。リングに上がる前からドリームマッチは始まっていたそうですよ。
元気があった昭和の風景がよみがえります。笑福亭仁嬌師匠の思い出、一緒に楽しみましょう!
夢の対決やあ
落語会のチラシやポスターに「○○と△△夢の共演」というのが稀にある。
プロレスでは「夢の対決」という事になる。
「夢の対決」まさに夢がありますなあ。実現しないであろうから「夢の対決」である。
これが実現するとなると、ファンは心躍らせワクワクしながらその日を首を長くして待つのだ。
「夢の対決」は、やはり日本人同士の対決。
古くは1954年力道山対木村政彦戦、リアルタイムで知る由もないがプロレス誌を読んだりビデオを見ると日本中が大注目していたことが分かる対決だ。
この試合はレフリーストップで力道山の勝ちとなったが後味の悪い結果で、この試合以降トップ同士の日本人対決は行われなかった。
それから20年。
ついに実現したのが団体のエース対決。
1974年当時は国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスの三団体時代。
国際プロレスのエース・IWAヘビー級チャンピオンのストロング小林対、新日本プロレスのエース・アントニオ猪木の一戦が実現したのである。
当時16歳だったわたいはそらもうびっくりした驚いた。当時は日本人レスラー対外国人レスラーが中心だった時代である。それがいきなりトップ同士の対決、そらありえない事がおこった。
詳しい内情はよう分からなかったが、ストロング小林が国際プロレスを出て東京スポーツ新聞社預かりとなりIWAチャンピオンベルトを返上して実現の運びとなったようである。
テレビ中継の日が誠に楽しみであった。
日本人同士の対決は緊張感がけた違いに増す、それはエースとしてどちらも負けられないからである。
また試合内容も最高であった。
最後は額から流血の猪木を小林がブレーンバスター、フォールに行くも返されるとカナディアンバックブリーカーで猪木を担ぎ上げるもリバーススープレックスでこれまた返される。
今度は猪木がバックドロップからの芸術的なジャーマンスープレックスホールド、これで清美川レフリーがマットを三つ叩きカウントスリーで猪木の勝利となったのである。
プロレスファンならよく知られていることではあるが、この時の猪木のジャーマンスープレックスホールドはスゴイ!首だけで体重を支えて両足が浮いていたのである。
この試合は試合が行われるまでのストーリーも試合内容も最高であった。
この年の東京スポーツ新聞社プロレス大賞年間最高試合賞の受賞も充分うなずける内容であった。
わたいはジャイアント馬場さんのファンやけどこの試合はええ試合やったと認めさせていただきます。
馬場さんの名勝負はまたの機会に。