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①かねよ寄席~地域寄席と極楽座:桂米二

桂米二

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桂米二師匠が『寄席つむぎ』初登場です!桂米二師匠には、地域寄席や極楽座に旅立たれた方々との思い出についてつづっていただきます。第1回目は「かねよ寄席」について。開催経緯や、先代歌之助師匠との思い出をつづってくださいました。

かねよ寄席に訪れたことがある人もない人も楽しめますよ。34年続く秘訣は?お楽しみください!

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かねよ寄席

 うなぎ丼に落語が付いてくるのか? 落語にうなぎ丼が付いてくるのか? いまだに答えは出ていません。「かねよ寄席」のことです。

毎月最終月曜は「かねよ寄席」。京都の老舗うなぎ屋、京極かねよの2階座敷で落語会があります。うなぎ丼またはきんし丼(うなぎの上に大きな京風玉子焼きが載っています)を食べた後に落語を聴いてもらいます。しかも木戸銭は普段のうなぎ丼の値段と同じ2,600円。

名物きんし丼。大きな玉子焼きの下にうなぎが隠れてます
(米二師匠提供画像、タップで拡大)

 値段が同じなので主役はどちらなのかが問題です。かねよさんの主張は、うなぎに落語が付いてくる。桂米二の主張は、落語にうなぎが付いてくる。ずっと平行線です。どちらも譲りません。ま、どっちゃでもよろしい。

 「かねよ寄席」が始まったのは1987年の秋でした。当時の世話役は亡くなった兄弟子の先代桂歌之助兄さん。京極かねよの先代社長が「昔は新京極にも寄席があったのに今は無いのが寂しい。寄席をもう一度復活させたい」という男気で始まったのです。私は京都に住んでいる特権で第1回からよく出してもらってます。

 始まった当初はお客様も少なかったです。せいぜい30人程度。ところが、評判が良かったんですね。たぶん落語よりうなぎの評判が。あっという間にいつも満席の100人も入る寄席に成長いたしました。美味いものはほんま強いわ。

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 2001年の秋、歌之助兄さんが病気で入院されました。その入院中に電話がかかってきて、次の「かねよ寄席」のことを頼まれました。つまり、出演者を決めたり、当日の会の進行を任された訳です。私もお手伝いできることはなんでもしました。大好きな歌之助兄さんの回復を祈りながら……。

 2002年1月2日、先代歌之助兄さんは55歳の若さで帰らぬ人となりました。食道癌でした。うちの一門は早死にが多いのです。なんで?

 それから1週間ほど経ったある日、かねよの社長から電話がありました。

「米二さん、歌之助さんは亡くなったけど、『かねよ寄席』は続けたい。私の目の黒いうちはやめたくないねん。あとを引き受けてもらえませんか?」

私は少し考えて、

「私はもちろん引き受けますが、歌之助兄さんには歌々志(かかし)(のちに三代目歌之助を襲名)という弟子が居ます。彼にも引き継いでもらいたいので、毎月交替で世話役ということにさせてください」

 そんな訳で原則、奇数月は現桂歌之助、偶数月は桂米二が責任を持って出番を決めて運営しております。

 先代歌之助兄さんがよく言うてはりました。

「人間て、美味しいものを食べると幸せになる。幸せになったところで落語を聴くんやから、他の会よりたくさん笑ってもらえる」

 今は年に7回ぐらい出ておりますから、この言葉の意味がよく分かります。食事と落語は相性がよろしい。しかしあくまでも食事と落語は別にしないといけません。食事の最中に落語やったら誰も聴いてくれないもんね。

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 喜ぶのはお客さんだけではありません。出番を頼まれた噺家も喜びます。ギャラの他にうなぎ丼もいただくのですから。よく先輩から言われます。

「今度『かねよ寄席』はいつ出してくれるねん?」

 向こうから催促されます。けど、そう簡単には頼みまへんで。

 いつも満席の「かねよ寄席」をどこかから見てはったんでしょうね。うどん屋さんから落語会のオファーがありました。うどんを食べてから落語を聴く。これも面白いと思って引き受けたのですが、落とし穴がありました。木戸銭です。「かねよ寄席」はうなぎ丼と同じ値段で落語会。うどん屋の落語会はうどんの値段に落語の入場料を上乗せしていたのです。

 お客様は正直です。最初は超満員になりましたが、数回で激減。そうなると会社は採算を考えますからすぐに終わりました。

 落語会をたくさん引き受けて分かったことの一つがこれです。会社などの組織が主催する会は、お客の入りが悪いとすぐに終わります。逆にそこの親父さんとか女将さんとか、個人がやってくれてる会は少々入りが悪くても辛抱してくれはります。そのうちにお客が増えることもあって、たまに「かねよ寄席」みたいに大入りになる会もあります。だから長続きするんです。

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 おかげさまで「かねよ寄席」は今年の秋で34周年を迎えます。うなぎは稚魚が獲れなくなって、値段も上がりましたが、なんといってもお得感があります。しかし、去年からのコロナ禍で満席になってた客席にも空席が目立つ今日この頃です。収束したら、今まで以上のお客様に来てもらえることを信じつつ続けていきます。

 かねよさんの社長は先代から息子さんの当代に代わりましたが、志は同じで「寄席の灯は消さない」と言うてくれてはります。私が世話役になって来年で20年。先代歌之助兄さんより長くなりました。頑張らないといけません。

それでなくても、うなぎに負けてるんですから。

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