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上方落語勉強会~地域寄席と極楽座:桂米二

桂米二

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大好評!桂米二師匠のエッセイ第2回の公開です。今回は京都市上京区で開催されている「上方落語勉強会」についてつづっていただきました。桂米二師匠が世話役になるまで色々あったそうです。

上方落語勉強会に訪れたことがある方もそうでない方も楽しめますよ。じっくりお読みください。

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上方落語勉強会

「お前がやらなんだら誰がする? やれ!!」

我が師匠、桂米朝から怒鳴りつけられて世話役を引き受けた落語会。それが「上方落語勉強会」です。ほんとにこの会だけは引き受けたくなかった。嫌でした。

歴史はあります。第1回が昭和47年(1972)ですから今年で49年。来年は50周年。……今、気がついた。なんぞ記念の会を考えないと。

私が昭和51年(1976)入門ですから、その4年前から始まった会で、会場は京都府立文化芸術会館の3階和室。「桂米朝師の肝いりで始まりました」と今も会のチラシに書いてあります。どういう肝いりなのか、私の入門前のことなので知りません。今の会館スタッフもほとんど知らないでしょう。そういうと、会が始まった当時は師匠もよく出てはりました。私が世話役になってからは出てくれませんでしたが……。

桂米朝一門の勉強会は、それより前に安井金比羅会館で「桂米朝落語研究会」が始まっていました。米朝一門以外にも出てもらえる勉強会がこの「上方落語勉強会」という訳です。

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ここでよくある質問、「勉強会は普通の落語会とどう違うのですか?」というのにお答えしておきましょう。

主に若手の噺家がやり慣れないネタや大ネタを高座へかけて、修練、研鑽に励むという会です。噺家が勉強する会です。お客様は勉強する必要ありません。ま、たまにマナーを勉強してほしい人はいてはりますが……。

ですから、入場料も安く設定されています。この「上方落語勉強会」も前売が1,800円、当日が2,000円です。友の会前売なんか1,500円です。3,000円とか5,000円もする会がある中、この値段はどうよ? それに安いからといって手を抜く噺家は一人もいません。……と思う。

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そんな歴史のある会なのに、なぜ世話役を引き受けるのを嫌がったのか? いよいよ核心に触れることにしましょう。

「上方落語勉強会」の最初の世話役は、桂音也(おとや)師でした。ご存じの方はかなり古い落語ファンですね。朝日放送アナウンサーから桂枝雀の弟子になって噺家に転身した人です。豊中で始めた「音也寄席」は「岡町落語ランド」と名前は変わりましたが、今も脈々と続いております。「上方落語勉強会」はうちの師匠が音也師を指名して始まったと聞いたように思います。

ところが音也師は昭和53年(1978)に突然、病気で亡くなりました。42歳の若さで。そのあとを引き継いだのが私の兄弟子である先代桂歌之助兄さん。前回、ここで紹介した「かねよ寄席」の世話役も歌之助兄さん。で、この兄弟子も平成14年(2002)に55歳で亡くなりました。世話役の初代とニ代目が若死になんです。そのあと「米二がやりなさい」て、嫌ですがな。それで固辞してたら、うちの師匠から冒頭の発言で怒鳴りつけられた……という訳です。

渋々引き受けたもののちょっとビクビクしていたのも事実です。うちの師匠のパワハラもありました。

「米二はいつ死ぬねん?」

 おかげさまで63歳まで生き延びております。でも仮に、もしも……の話ですが、歌之助兄さんのあとの世話役を、桂吉朝兄さん(50歳没)か桂喜丸君(47歳没)が引き受けてたら、この会はどうなってたでしょ?

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 暗い話はこの辺で置いといて、今、この会がどんな落語会なのかご紹介しておきます。

 全部で五席。トリは若手に大ネタをやってもらいます。前回6月の第262回は桂阿か枝君がトリでした。若手……というても芸歴25年ですか。次はもうちょっとフレッシュな人を頼みますね。

 中トリが趣向でして、新作落語ネタ下ろし(初演)を誰かにやってもらうことになっております。歌之助兄さんが世話役の頃から手伝ってもらっている落語作家の小佐田定雄先生と、くまざわあかね先生に交替で新作落語を書いてもらい、それを誰かがネタ下ろしをする。で、お客様にその落語のタイトルを考えて投票してもらい、その中から演者と作者が選んで決めるという画期的な趣向です。題して「お題の名づけ親はあなたです」。

2018年10月25日、250回記念公演の座談会。「お題の名づけ親はあなたです」についてしゃべりました。
左から桂米二、小佐田定雄先生、くまざわあかね先生、桂九雀さん

これはアイデアマンの桂九雀さんの発案なのですが、すぐそれに乗った我々も我々です。言い訳になりますが、実は新作落語のタイトルを決めるのは大変難しいのですよ。それをお客様に丸投げしたんです。いわば手抜きです。でもこれは決して入場料が安いせいではありませんよ。

 でもええ趣向やと思います。お客様も苦しんだり楽しんだりしてくれてはります。それにその新作落語が名作として語り継がれたら、名づけ親のお名前も永遠に刻まれるのですから。私もこれでいくつか新作落語のレパートリーが増えました。名作……かどうかはわかりませんが。

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 私が世話役を引き受けて19年。先ほどうちの師匠は出てくれなかったと言いましたが、出る予定はあったのです。平成20年(2008)5月、「上方落語勉強会」の200回記念の会がいつもの和室ではなく400人収容のホールで行われました。これに出てくれることになっていたのですが、その少し前に背骨を骨折して入院。出演はキャンセルとなりました。

しかしチラシには米朝出演となっています。苦肉の策で声だけ出てもらうことにしました。病室で桂米朝のメッセージを録音して、それを会場で流すのです。我ながら名案。

ICレコーダーを持って病室へ行きました。ちょうどその日は今の米團治君も付き添いで居まして、手伝ってもらいました。録音開始。

「米朝です。おかげさまで痛みはもうありません。あとは日にち薬で……」

 その時、米團治君がベッドを半分起こして、師匠の背中を持ち上げました。

「痛い痛い痛い、それは痛い。何をするねん」

 記念会の当日、座談会の途中でこれを流したら、お客様は大爆笑。入院中でも大いに会を盛り上げてくれたのでした。

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