三遊亭遊喜師匠による青春グラフィティ、第9回の幕開けです!
小学生のころから剣道を続けてこられた三遊亭遊喜師匠。静岡県立島田高等学校に進学し、剣道部に入部されたのだそう。その時の想い出をつづっていただきました。
剣道経験者の方は、特に共感できる内容です。お楽しみください!
いやらしい剣道
前回コラムの高校編を掲載したら、剣道部の後輩から連絡が。「コロナ禍でなかなか集まれないのでZOOM飲み会でもやりましょう」と誘われました。コラム効果は絶大です。
久しぶりにWEBの中で集まった剣道部の後輩達はみんな立派な社会人になり、会社でもそれなりに出世しているようで頼もしく思えました。
高校での記憶が消えかけているので当時どんな事があったか聞いてみたところ「竹刀で弓矢を作った」「柔道部と一緒に麻雀していた」「道場で野球をした」 「大会当日、Oくんが電車に乗り遅れ大変なことになった」などなど。
剣道以外の事しかネタがないのです。それはそうかもしれません。それ以外の方が印象に残る年頃ですから。
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しかしながら、いざ剣道の事はどうだったのか尋ねると、誰々はこういう剣道をしていた、あいつはこういう剣道だった、あれは正直すぎる剣道だったななどなど、誰がどういう剣道をしていたということだけはちゃんと記憶に残っていました。
ゆるい剣道部だったかもしれませんが、それなりに稽古してましたからみんな体にしみ込んでいたんだなと感じました。
当の本人私の剣道はどういう剣道だったのか問うと、部員からの評価は「いやらしい剣道だった」とのことです。評価を聞いて、そうだろうなと素直に思いました。
剣道は背が高くて、どっしりして腕が長い方が、どう考えても有利なのです。
当時の私は背が低く、今では考えられないくらい瘦せていて、かつ腕は短いわけで。 大きい相手に勝つには、俊敏さや技の旨さで上回るしかないのです。
どうやったら勝てるかを自分なりに研究した結果が、相手が動揺するようないやらしい剣道になったのだと思います。相手が面にきた時に素早く小手を狙う出小手という技があるのですが、この技だけは自分で自分をほめてあげたいぐらいのクオリティーでした(笑)。
せことい言われればせこいですけど、そうでもしないと勝てないぐらい体格のハンディを感じた剣道部時代でした。
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その当時はただ必死でやっていた剣道も、時がたってから冷静にみると、剣道って人間が出る武道なんだなと感じます。
形や精神を最も大事するタイプ、やるからには勝ちたいタイプ、とにかく楽しみたいタイプ、人の事は気にせず自分だけを見つめるタイプなどなど。同じ稽古をしていても、個性が自然にあらわれるそんな武道なのだと。
考えてみたら落語もそうなんですよね。同じ噺でもやる人が違えばまったく雰囲気が変わりますし、良し悪しではなく、好みというか、結局好き嫌いでしかないかもしれませんが。
「芸は人なり」とはよく言ったもので、人となりがすべて落語に出ます。人間普段が肝心、剣道と落語は共通事項が多いように改めて感じました。
落語芸術協会には剣道経験者が結構いて、後輩ですと鯉八・小笑。先輩ですと遊吉師匠、事務局の方も経験者。
勝手な思い込みですが、鯉八と小笑の剣道は卑怯な戦法で、遊吉師匠は正直な剣道かな?と妄想しながらにやけてしまいます。
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なんだかんだで気が付いたら3年生になり剣道部も引退。夏からは受験勉強に入っていきます。剣道と同じでどうやったら受かるかを考えて勉強するのですが、こればっかりはなかなか旨くいかない。
受かるだろうと思って受験した国立大に落ち、受かった東洋大学へ。受験科目として得意だった化学と数学を活かせる工学部へ進学するわけです。
これから夢と希望を膨らませ上京するわけですが、今回はここまで。
次回大学上京編をお楽しみに。