三遊亭遊喜師匠は、平成7年(1995年)に三遊亭小遊三師匠に入門を許され、前座見習いから修行が始まりました。バブル経済が崩壊し社会は混乱の真っ只中、小遊三一門ではどのような出来事があったのでしょうか?
知られざる「前座」以前の「前座見習い」時代のエピソードです。三遊亭遊喜師匠の思い出、じっくりお読みください。
痴楽師匠から尋問?
「前座と前座見習いの違いは?」とよく質問されることがあります。明確に基準はないものの、東京では寄席の楽屋で働くようになると前座と言われ、楽屋入りしておらず師匠の身の回りのお世話や雑用 鞄持ちで各所をお付きで回ったりしている期間を前座見習いと言う雰囲気はあります。
そんな見習い期間に何を修行するかは、一門によってまったく違うんです。ほとんど何も教えず楽屋に入れる一門もあれば、ある程度は楽屋仕事ができるようになってから楽屋に入れる一門もあり、どっちが良いかはわかりません。小遊三一門は後者の方で、楽屋仕事以外でも今思えば見習い期間で色々と仕込まれます。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
当時はなんだか分からないですけど、よくお使いに出されました。「これを米助師匠のところへ届けてくれ」「痴楽師匠のところへ届けてくれ」などなど。品物自体はなんでもないものなのです。
「ちゃんと自宅へ届けろ。住所はここだ。さー行ってこい」
携帯電話もなく、もちろんナビもない。本屋でポケット地図なるものを密かに購入して米助師匠宅へ。まず居るわけがない。生放送ののTVに出ているのだから。でも行かなきゃいけない。
ピンポン押してもいない。暫くたってからまた尋ね、また留守。またピンポン。
何度か繰り返しているとおかみさんが帰宅していて、ようやく品物を渡す事ができ「留守でごめんなさいね。小遊三さんによろしくね」と言われお小遣いを頂き、師匠に報告。
痴楽師匠宅を尋ねた時は、午前中にピンポン押しても反応がない。何度か押したらドアがガチャと開き、ダボシャツ姿の寝起きの痴楽師匠が凄い形相であらわれ、どすのきいた声で
「誰だてめー!」
ときた。たじろぎながらも、すかさず
「おはようございます。小遊三のところに入りました遊やけ(前座名)と申します」
と答えると
「は!!!なんだ小遊三さんのところか。早く言えバカヤローー。なんの用だ?」
「すみません。師匠からこれを渡すように頼まれてまいりました。こちらです」
「おっ、そうか。わるいなー。コーヒー飲むか?」
「はい、ありがとうございます」
二人で近所の喫茶店へ。コーヒーを頼み、痴楽師匠から尋問?いや、問いかけを受ける。いつ入門したのか?今まで何をしていたのか?出身は?などなど。暫くしてから
「おめー、たばこ吸うだろ?」
ここで嘘ついてもしょうがないので、「吸います」と答えたら、
「吸っていいぞ」
今考えた恐ろしい光景です。入りたての見習い前座と当時すでに貫禄十分の痴楽師匠とが、さしで煙草をふかしながらコーヒーを飲む。
それがあったからなのか、なぜだかそれ以降は痴楽師匠から可愛がって頂きました。いや可愛がりだったのかも?すべてはいい思い出です。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今思い返せば前座見習いの頃は、ちゃんと言われた通りのことはできるのか、臨機応変に対処できるのか?お使いはできるのか?などなど試されていたのでしょう。
他にも思い出すことがあります。師匠と二人で蕎麦屋に入った時のことです。
「腹が減ってるだろ。なんでも好きなもの食べていいぞ」と言われました。「じゃー、天ぷらそば」と即答すると、
「ばかやろー!そうじゃねーんだ。なんでも好きなもの食えと言われて、天ぷらそばじゃーねーんだ、ばか。お前が”かけそばで”と言ったら、俺が”かけでなくて、天ぷらでもつけろよ”と言えるだろ。バカヤロー!」
と。そんな落語家として生きていく術を少しずづ叩きこまれる見習い前座修行の日々。暫く天ぷらそばを見ることが出来なくなりました(笑)。
着物の畳み方や太鼓、着付に落語二席などなどと、ほんの少しだけですができるようになってきてから、いよいよ寄席の楽屋入りです。
ここからまた色んな出来事が???
この続きはまたのお楽しみに。