三遊亭遊喜師匠が二つ目に昇進したのは平成11年(1999年)4月のこと。厳しい前座修業を終え、晴れて落語家として本格的に歩み出すのですが、なかなか上手くいかなかったようで。前座とはまた一味違ったつらさがあったとのこと。それは…?
会社員でも共感できることがあるのではないでしょうか。三遊亭遊喜師匠の二つ目時代のお話、じっくりお楽しみください。
二つ目スパイラル
「二ツ目昇進は真打になるより嬉しいものだ」とよく先輩師匠から言われてはいたものの、当時まだ真打になっていない身分からするとよくわからなかったわけで。今振り返ると確かにそうかもしれないと思います。
まず二ツ目というのは、前座のように下働きをしなくてよい自由な時間が沢山ある。自分で好きなようにスケジュールがたてられる、などなど。監禁状態の前座からの解放なわけです。
反動の幅があるからより喜びがあるわけで。二ツ目から真打よりは、前座から二ツ目の方がそれは振り幅があるわけで喜びも大きいわけです。
一通りの寄席での二ツ目披露を終えると、現実に直面します。時間はあるが高座がない、自由はあるがお金がない、呼び出しはあるが仕事じゃない、という二ツ目あるあるというか、二ツ目ないないというか、このスパイラルにおちいるわけです。
そこで行き着くのが勉強会や小さい落語会を、自主公演でやるしかないという現実。
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近年大成功したのが、小痴楽さん率いる成金です。(小痴楽・伯山・宮治・昇々・鯉八・伸衛門・羽光・小笑・柳雀・昇也) みんな後輩ながら大活躍です。
私世代が二ツ目になった頃はSNSなんてものはなく、告知宣伝もなかなか難しい。チラシと口コミのみ。
今思えば、よくやっていたなと自分でも感心してしまいます。荻窪の喫茶店「ポロン亭落語会」、東中野の小さなライブハウスでの「ミスティ寄席」、西荻窪での「がざびぃ寄席」、国分寺のライブカフェ 「ギー寄席」、川越の「BAR JACK寄席」、新宿歌舞伎の雑居ビルにある大人な店での落語会などなど。
赤字になるからやらない方がいいぐらいの会もあったりなかったり。それでもやるのは、何とか高座を確保しないと保てないのをみんなわかっているからです。
何とかやっていると、お客様というのはありがたいもので「あそこでもやってほしい」「こんなところもあるよ」と紹介してくださったり。そんなご縁がご縁をよび、二ツ目の約十年間を乗りきるわけです。
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東中野で毎月開催していた「ミスティ寄席」のメンバーは当時、遊喜・鯉太・柳二郎(現:愛橋)・ブラ房(現:吉幸) 志っ平(故:小蝠)。
立川流だった二人がのちに落語芸術協会に入っているとは、驚きしかありません。もうご縁というかくされ縁かもしれませんが、当時落語会によく来ていた大学生が今や某お店のママになることもあり、 時代を感じます。
西荻窪で毎月開催していた「がざびぃ寄席」のメンバーだったのは、遊喜・鯉太・小談志・志ら玉・故 談大。
談志一門の弟子みんなくび騒動に直面して、小談志さんなんか何度も名前が変わり「今なんて名前だったかな?」とわからなくなったり。談大さんはいつもコソコソっと危ない一言を言って笑わせてくれたけど、気がついたら脳梗塞で亡くなっちゃうし。もう色々ありました。
二ツ目の十年間って自由ですが、どう過ごすかでその後が変わるのかもしれません。
二ツ目に昇進したからといって師匠と会わなくなるわけではなく、一門により違いはあるものの、また前座とは違う関係性が構築されていくわけですが、そのあたりは次回へのお楽しみに。