みなさんは「青春」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。年齢のこと?それとも…?
三遊亭はらしょうさんは、今まで2~3度青春を経験されたとのこと。不思議なように思われるかも知れませんが、今回のエッセイ読了後は「なるほど」と膝を打つかも。
何度も人生に青春を感じることが、楽しく生きるコツなのかもしれません。三遊亭はらしょうさんの青春を一緒に追体験しましょう。
青春
ついぞ、青春という時代を過ごしたこともなく、気付けば四十も半ばを過ぎているこの俺なのだが、振り返ってみて、あれが青春だったのだと思い当たることが、二、三、あった。
二、三、あったのだったら充分に青春を過ごしているではないか、それどころか、人の青春は大概、一生に一度くらいであるゆえ、お前は、二、三回生まれ変わったのであるかと、奇妙に話しが変わって来る。
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最初の青春は、十九の九条に遡る。
大阪は九条。1996年、十九の俺は大阪中央線九条駅、徒歩2分のマンションに住んでいた。家の近くには、松島遊廓とストリップ劇場があった。
そんな場所に住んでいただけで、青春に決まっている。
友達が沢山、遊びに来た。俺の家にも、色街にも。
二度目の青春は、二十五から二十八の二条、三条、四条、五条である。
すべて、京都の地名である。
2002年から2006年まで、俺は京阪電鉄出町柳駅、徒歩、10分のアパートに住んでいた。
家の裏には、全く利用することがなかった叡山電鉄の乗り場があった。
最寄駅なのに、最も寄らない駅だった。
出町柳の方まで行く途中に、京都大学があった。
華やかなりし頃の学生運動の名残りと思われるアジテーションが暴力的に描かれた立て看板が、バリケードのように大学のぐるりを囲っていた。
まるで俺が京都大学に通っていたようだが、阿呆で勉強嫌いの不良であったゆえ、通っていたのは京都芸術センターである。
その頃、俺は演劇の一人芝居をしていた。
京都芸術センターには、沢山の表現者たちがいた。
そこへ行くと必ず誰かに出会って、必ず刺激を貰った。
どんな面白い演劇よりも、あの場所にはドラマがあった。
不思議なことに、嫌いな人には一人も出会わなかった。
出会う表現者のすべてから、情熱と知恵を浴び、血肉となった。
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三度目の青春は、三十一の新宿、池袋、上野、浅草、と言いたいところだが、あれは青春ではなく、監獄であった。
演劇から、落語家に転身したが、前座修行の身であったゆえ、都内の寄席に毎日通っていた俺は、日に日に落語が嫌いになっていった。
寄席にずっといたのに、一度も笑わなかった。
不思議なくらいに、嫌いな人ばかりに出会った。
出会う芸人のすべてから、我の強さと、人生なんとかなるさを学んだ。
なんとかなるさを学べたから、なんとか乗り越えられた。
三度目の青春は、ここではなかった。
しばらくやって来なかった。
俺は、いつの間にか、四十五になっていた。
2023年、演劇の公演に呼ばれ、大阪、三重、東京で公演を行った。
殆どの出演者は俺よりも若かった。
若い仲間といると、初心を思い出した。
そして、それは青春を思い出すきっかけとなった。
俺には青春などなかったとずっと思っていたが、数えてみたら、三度もあったことが分かった。だが、まだまだ物足りない。
我の強さと、人生なんとかなるさを学んでしまった俺は、この先、あと三回位は青春を過ごしたいと思っている。