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落語とプロレス~白黒テレビとプロレス入門~笑福亭仁嬌

寄席芸人コラム
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落語家にプロレスファンは多いのですが、その中でも笑福亭仁嬌師匠は50年以上にわたるプロレス愛好家です。上方演芸界で「プロレスファンといえば?」と質問をしたら、恐らく一番に名前が挙がるほど。

その仁嬌師匠にプロレスとの出会いを振り返っていただきました。笑福亭仁鶴師匠に入門するずっと前のお話です。プロレスファンはもちろんのこと、昭和レトロが好きな方も必見のコラムです。お楽しみください!

白黒テレビとプロレス入門

わたいがプロレスと出会ったのはいつやったやろ。おそらく小学校の低学年時やと思われる。

日本プロレスの生みの親であり、スーパースターの力道山を生放送で見た記憶はない。力道山は1963年昭和38年に亡くなっている。わたいが五才の時であるから、そら記憶はないわな。

その頃うちにテレビは無かった。

一番古いプロレスの記憶はもちろん白黒テレビで、自分の名前をリングアナウンサーにコールされたレスラーが両手をクロスさせて、脇の下を叩きパコンパコンといい音を出していた。

力道山亡き後エースとなった豊登道春である。父親がプロレスを見ていたので一緒に見ていたのであろう。

お風呂に入るとき上半身裸になり豊登の真似をして脇の下を叩いてたなあ。パコンパコンではなく筋肉のない体ではペチペチとしか鳴らなかった。しかしそれでも毎日楽しくやっていたなあ。

わたいが子供の頃、プロレス中継は毎週ではなくディズニーアワーとの隔週の放送であった。金曜日の夜8時、ディズニーアワーやったらがっかりしたもんや。

なんとなくプロレスが好きになりプロレスに興味を持つ、興味を持つとプロレスについて詳しく知りたくなる。

そこで12歳やったと思うが、誕生日にお母ちゃんに頼んで『プロレス入門』という本を買ってもらった。通学路にあった本屋さんで前もって見つけておいたのである。

笑福亭仁嬌師匠所蔵
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山田隆著『プロレス入門』わくわくしながら読んだなあ。プロレスの歴史やプロレスの技、名勝負、プロレス怪奇物語等々当時のわたいにとってこんなに嬉しい誕生日プレゼントは他には無かった。

この本によって力道山の事も詳しく知ることが出来たし、まだ見ぬ強豪が沢山いることも分かり益々プロレスに惹かれていった。その『プロレス入門』は今もわたいの書斎(すいません、そんなええもんはありません。うちの本箱)にあり久しぶりに開いてみた。

世界プロレス界スター選手名鑑のページには当時のトップスター達が並んでいる。

ブルノー・サンマルチノはWWWF認定世界ヘビー級チャンピオンとあり、その欄にイワン・コロフ→ペドロ・モラレス→スタン・スタージャック→サンマルチノとわたいの王座変遷のメモ書きがあった。

バーン・ガニアはAWA認定世界ヘビー級チャンピオン。ジン・キニスキーは前NWA認定世界ヘビー級チャンピオンとありドリー・ファンク・ジュニア→ハーリー・レイス→ジャック・ブリスコ→ジャイアント馬場→ジャック・ブリスコとこれまたわたいのメモ書きがあった。

『プロレス入門』には、万年筆で書かれた中学生の頃の仁嬌師匠の書き込みが……
山田隆著・秋田書店刊『プロレス入門』より引用

あの頃の世界三大タイトルであり、それぞれ権威も実績もあった。

他スター選手はフリッツ・フォン・エリック、キラー・コワルスキー、アーニー・ラッド、ボボ・ブラジル、ザ・デストロイヤー、ルー・テーズ、ヘイスタック・カルホーン、ドン・レオ・ジョナサン、カール・ゴッチ・・・・

あー昭和の時代の大レスラーだらけ、心が躍るなあ。

なんでわたいはプロレスファンになったんやろ。兄弟子の笑福亭仁福がわたいによく言っていた。

「仁嬌もプロレスファンやなかったら普通の人間やのになあ」

どういう意味やあ。

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50年以上にわたるプロレス愛、この熱い想いを共に感じましょう!

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執筆者
笑福亭仁嬌

昭和33年、京都府京都市に誕生
昭和52年4月1日、笑福亭仁鶴に入門
緩急をつけたリズミカルで端正な高座が特徴。力強さと繊細さが共存する落語は、観客をいつの間にか物語の舞台に誘う。親子関係や介護に関する講演にも力を入れ、笑いにより生活を豊かになるよう尽力しいている。趣味はプロレス観戦、野球。特にプロレス観戦は子供の頃から50年以上愛してやまない。弟子に嬌太がいる。

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