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⑤島之内寄席、その2~師匠三代目桂春団治と見た風景:桂春若

桂春若

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大好評!桂春若師匠の思い出コラム第5回です。上方落語家の悲願、落語の定席「島之内寄席」の思い出をつづっていただきました。島之内教会でスタートした「島之内寄席」、そこで定着すると思いきやこは如何に。なかなか上手くいくものではありません。

苦難の時代を乗り越え、今があります。年内は休止の「島之内寄席」ですが、今までのことを思うと休憩の時期なのかも知れません。

それでは桂春若師匠の思い出コラム、お楽しみください!前回はコチラ

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師匠三代目桂春団治と見た風景~⑤島之内寄席、その2~桂春若

昭和47年2月に誕生した「島之内寄席」。連日大入り満員の大盛況。

マスコミにも大きく取り上げられ、上方落語ブームになったのですが、島之内教会での公演は2年で終わってしまいます。

それから場所探しの苦難が始まります。

昭和49年4月に近くの心斎橋ブラザービル8階へ。消防法に引っ掛かり、わずか2カ月で船場スポーツプラザへ引越し。ここも半年で休止。

そして昭和50年6月に、ダイエー京橋ショッパーズプラザ4階へ。ここは閉鎖されたボウリング場のレーンの上に畳を敷き、客席と高座を造りました。公演日は毎月第一土曜から3日間、土日月の5時半開演です。

京橋へ行っても名称は「島之内寄席」でした。

ダイエー京橋亭「島之内寄席」では、朝日放送とKBS京都(当時は近畿放送)のラジオ収録も。KBS京都の方は『上方落語名人会』で深夜番組。桂文我・桂文紅両師匠が案内役を勤めておられました。

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このダイエー京橋亭では家(うち)の一門の先輩、桂春輔兄さん(のちの祝々亭舶伝しゅくしゅくていはくでん師)がちょっとしたブームを起こしました。

「何を云いだすか分からん」というので若い落語ファンに人気があったのです。

『動物園』という有名な落語があります。死んだ虎の替わりに人間が虎の皮を被って、檻の中をウロイロするという男の咄ですが、これを春輔兄はうっかり≪象≫と云ってしまいました。

「もう云うてしもたから、今日は象でいくわ」とそのまま象の動物園へ。悪戦苦闘しながらサゲまでたどりつきました。

その困り方が面白いとお客さんはひっくり返る程の大爆笑でした。

その次が当時飛ぶ鳥を落とす勢いの桂枝雀師匠です。

さすがの枝雀師匠も「あのあとは出来ません。私はこれで失礼します」と咄も演らず降りてしまいました。客席が興奮しすぎて、落語できる状況ではなかったのです。

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京橋での「島之内寄席」は、足かけ10年続きます。

昭和59年4月、ミナミの老舗料亭「暫」の2階大広間に会場が移ります。

上方落語協会の案内ハガキには、「帰ってきた島之内寄席」、「明治の情緒たっぷりと…お座敷で味わう上方噺」とコピーが入ってました。

公演日も5日間に戻ります。企画物もあったりで出番は日替わりです。暫亭の席亭さんは、昔、立川談志師匠のマネージャーをやってはった中田昌秀さんでした。

そういえば、向かいのビルに月亭八方師匠のお店がありました。(関係ないかな?)

暫亭がビルに改装するということに成って、昭和62年11月に心斎橋CBカレッジ7階に移ります。

公演日も5日間が3日間に成ったり、2日間になったり。この辺りが一番シンドかった時期です。設営も大学の落研の皆さんに手伝っていただいてました。

それから一心寺シアター、ワッハ上方7Fレッスンルーム、5Fワッハホール、トリイホール、大阪市立中央会館。

そして、平成30年10月より、上本町六丁目銭屋ホールで現在は土曜日1日公演です。

今年は12月まで休席ですが、来年1月から開催する予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

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