笑福亭仁昇師匠の連載、第2回です。
「名は体を表す」と言いますが、これほどまでに芸の道と結びついた名前があるでしょうか。珍しい名字ゆえの苦労や、今は亡き師匠・笑福亭仁鶴からの優しい心遣い。芸名「仁昇」という一文字に込められた師匠の想いと、ご自身のルーツを辿る、心温まる書き下ろしエッセイです。
じっくりお読みください。
師匠仁鶴の心遣い
四月一日、八月一日、十二月一日、十二月三十一日。これは全て実在されている苗字であるとのこと。それぞれ「わたぬき」「ほづみ」「しわすだ」「ひづめ」と読むらしい。その他にも読み方もあるらしいのだが省略させていただく。「七夕(たなばた)」さんも居らっしゃる。以前、花屋さんの「漣(さざなみ)」さんに出会ったことがある。なんともロマンチックだ。
私の本名は「越智(おち)」姓です。愛媛県には越智郡があり、その辺りには多い。父の出身は愛媛県大三島で、今は今治市大三島だが、以前は越智郡大三島だった。越智姓が多く、お互いは名前を呼び合うのが日常だったと聞く。
小学生の当時(昭和四十年代)は、大阪では越智姓が珍しく、先生方も正しく「おち」とはナカナカ呼んでもらえず、「こしち」「えち」と間違われたこともあった。
「おち」→落ち(落下)と連想され、ずいぶん揶揄われたものだった。父からは「由緒ある姓であるから胸を張っておれ」と言われていた。
時が経ち、平成二十(2008)年に、読売巨人軍で越智投手(今治市出身)が出場するようになり、テレビの全国放送に「おち」が流れるようになった。阪神ファンの私だが、彼を応援していた。
しかし、仁鶴に入門した当時(昭和五十九年)にはまだ珍しかった。
この芸能界は、とくに「験(げん)」を担ぐ所で、「おち」は「落ちる」に繋がる恐れがある。師匠もそう言っていた。それで、「入れあわせ」やと、私の芸名に「昇」の字を付けてくれた。つまり「笑福亭仁昇」の登場になった。師匠の心遣いは嬉しかった。
芸名を貰い、改めて本名をじっくりと眺めた。落語家とは、「落とし噺(おとしばなし)」を演じる者である。サゲ(落ち)のある噺(話)。そしてその演者。
私の姓名は「越智良夫(おちよしお)」。お、落ちヨシオ!
これは適職ちゃうか?!



