笑福亭鶴光師匠に弟子入りのお願いにうかがった若き日の里光師匠。入門を許されたのか否か分からないまま、浅草演芸ホールの楽屋を訪ねることになりました。そして、そこで起きたのは…。
何だか不思議な師弟(仮?)の掛け合いがとても微笑ましい、笑福亭里光師匠の自叙伝第4回のスタートです。お楽しみください!
ほな次は?
こんにちは。笑福亭里光です。
浅草演芸ホールには正式に「楽屋入り」する前に2日行きました。
初日、師匠は出番直後、着物を着換えないまま空き部屋へ案内してくれました。ここは噺の稽古をしたり、出演者が多い(特別興行など)時に控え室や倉庫代わりに使う部屋なんです。
「着物持って来たか?」
僕はうなづくと、演芸ホールに行く前に前座が良く使う呉服屋さん(ちなみに新型コロナの影響もあって残念ながら店を閉めるようなんです)で買ったばかりの着物を鞄から出しました。
すると師匠が「着てみよか」と。ん、何が始まるんや!?
次の瞬間、師匠は着ていたものを脱ぎ、またそれを着始めます。
「何しとんねん?自分も着んかいな!」
どうやら横で見様見真似で着てみろ、ということらしい。
落研に在籍していた僕は、着物自体は着るのが初めてではありません。
しかし帯は前で締めて(結び目を)後ろに回していたんです(商売で着る方以外は殆どそうだと思いますが)。
大丈夫かいな?と思う間もなく、師匠は「この辺持ってこうすんねん」とどんどん着ていく。付いて行くの必死でした。
うちの師匠鶴光は、一旦教えてから(今度は独りで)最初から最後までやらせてみる、というやり方はしない人なんです。
どういうことかというと、普通は噺の稽古なんか覚えてきたのを目の前でやらせます。とりあえず一通り全部やらせてみて、その上で訂正や助言をする。そういうやり方(教え方)する師匠が殆どなんです。
でも鶴光は違う。気になったら途中でも止めるんです。「それはこうや」。即訂正が入る。訂正や助言を加えながら一通りやってそれで仕舞い。
それじゃあ今のを踏まえてもう一遍やってみなさい、というのが無いんですよ(その箇所だけやらせることはあるんですが)。
だから僕は師匠の目の前で、落語を全部通しで喋ったことがない。そういう教え方なんです。
僕が入った頃は師匠もレギュラー番組あったりと忙しかったので(あの教え方は)時間短縮のためなのかなぁと思っていたんですが、どうやらあれは性格の問題でした。
「分かったな?ほな次はいつにしよか??」
先走り過ぎです(笑)。
次の日程を決め、興行(夜の部でした)を最後まで見学するようにとだけ言い残した師匠は部屋を出て行きました。
畳み方も知らんのに着物をどうやって鞄に仕舞ったのか、全く覚えておりません。
さてようやく帯を後ろ手で締められるようになった僕は、2回目の浅草演芸ホールへ。先日と同じ。師匠の出番直後、同じ部屋に通されます。
着物を出すよう指示されました。
おもむろに着ていた着物を脱ぎだした鶴光。「まず初めにこうすんねん・・」どうやら今日は畳み方のようです。前と同じように師匠がやる横で見様見真似。
相変わらず途中で「そうやない、こうや!」いちいち訂正が入ります。そしてこれも同じように一通り終わるなり「次いつしよか?」。
鶴光一門が東京で所属している「公益社団法人 落語芸術協会」は鈴本演芸場には出ません。なので基本は新宿末広亭と浅草演芸ホールなんですね。
そこに池袋演芸場と上野広小路亭が入ってくる。
末廣亭も見ておいた方がええ、ということで次回は新宿に行くことになりました。