落語家の初舞台といえば、勉強会が多いもの。寄席の最初の出番前も多いんですよ。しかし、桂枝女太師匠は違ったようです。まさかの……。これはなかなかないでしょう。
桂枝女太師匠の稽古への考え方も今回はつづられています。プロとアマの違いについても考えさせられますよ。お楽しみください!
落語家として1
前の章で人に落語の稽古をつけるのは面倒だということを書いたが、自分の稽古もなかなか面倒なもの。
そんなことを言うとプロとして失格の烙印を押されそうだが、実際なかなか面倒臭い。
どんなことでもそうなのだろうが、好きでやっていることと仕事でやっていることとは同じことでも意識はかなり違う。
落語で言うとアマチュアのオチケン時代は落語の稽古ほど楽しいことはなかった。
ところが今は落語の稽古ほどしんどいことはない。趣味と仕事とは違うと言ってしまえばそれまでだが、しんどいからといってしないわけにはいかない。
なんせこれで食っている。
アマチュアのときは徹底的にプロの真似をした。丸々のコピー。
もちろんアマチュアの人でも自分なりの工夫をして個性的な落語をする人も大勢いるが、私の場合はそれができなかった。
はっきり言って不器用な人間だ。
それに丸々コピーの方がウケる。笑ってもらえる。上手だとも言ってもらえる。当然だ。
そんな私がプロの世界へ入って強烈な洗礼を受けた。
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ここで初舞台の話しを。
入門して芸名をもらい、たどたどしいながらもネタを覚えると年期中(師匠のかばん持ちをしている間)でも舞台を踏ませてもらえる。いわゆる初舞台だ。
落語家の初舞台は通常は師匠や兄弟子がやっている勉強会などの場合が多いのだが、私の場合はいきなり営業だった。
入門してすぐに兄弟子の桂文太兄さんに落語を教わった。
ほとんど稽古をつけてもらったことのない私だが、やはり最初はちゃんと稽古をつけてもらっている。
師匠が文太兄さんに稽古をつけてやれと命令したらしい。
これは師匠が面倒だったというより、当時5年目ぐらいの文太兄さんのためにもと思ってそうしたのだろうと思う。
ネタは「桃太郎」。
私自身このネタはオチケン時代にも演じたことはなかったが、当然どんな噺かは知っていたし、そう難しい噺でもないので難なく覚えることはできた。
しばらくして文太兄さんに呼ばれ「仕事があんねんけど、一緒に来てくれへんか。俺の前に一席やって欲しいねん。こないだつけた桃太郎でええから。師匠にはお許しをもろてるから」。
嬉しかった。いよいよプロとしての初舞台だ。
「どこの会ですか?」
「会と違うねん。俺の出た高校の文化祭やねん」
ええ~っ、いきなり余興(営業)かよ。
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地域寄席や小さい勉強会にも出たことのない芸人がいきなりの余興。
しかしこれは考えようで、オチケン時代の私のメインの舞台は学校だ。
とくに文化祭では教室に高座を組んで何席もやった。体育館で数百人の前でもやった。いわばお手の物のシチュエーション。
文太兄さんの出身校は京都の公立校でその学校にもオチケンがあった。
私は勝手な思い込みで、私と文太兄さんが一席ずつするのだろうと思っていたが違った。
まずオチケンの人が4人ほどやる。そのあと私と最後に文太兄さんだ。6人ほどの出番で私はトリ前。これを我々の業界用語で「モタレ」という。
いくら私の前がアマチュアとはいえ、入門したてで初舞台がいきなりモタレ。
しかしこれも考えようで、私自身一番得意なシチュエーションだ。オチケン時代、とくに後半はトリか中トリ、モタレなどしか出たことがなかった。
かえって前座(トップ)の方が経験がなく戸惑っただろう。
もちろんこの舞台は上手くいった。私の前はすべて素人、私も若輩とはいえプロ。
うまくいって当たり前。
これで油断したわけではないのだが、プロの洗礼はこの後から始まった。