落語家の初高座は、勉強会や地域寄席が通常です。しかし、桂枝女太師匠は営業で初高座をふんだそう。しかもトリの前のかぶりで。なかなかあり得ることではありません。
順調なスタートを切ったかのように思える桂枝女太師匠ですが、壁にぶち当たります。それは……。
新人なら落語家ならずもよくあることかもしれません。皆さんも「あの頃」を思い出してみませんか?桂枝女太師匠の思い出コラム第11回のスタートです。
落語家として2
落語家としてのデビュー(初舞台)は兄弟子の出身校の学園祭という営業でスタートしたわけだが、その後は小さな地域寄席や勉強会が続く。
まだ師匠のカバン持ちをしながら、たまに先輩たちのそうした落語会に出してもらっていたわけだが、当時の落語家は大ベテランから私のような入りたての弟子っこまで含めて約70名。現在の約4分の1ほどである。当然落語会の数も少ない。
当時、講談師の旭堂南右さん(後の小南稜、またその後の四代目南陵)が奔走し、あちこちで地域寄席を始めた。町の公民館や集会所、お風呂屋さんやお寺さんなどで30人から50人ぐらいまでの若手の勉強会である。
おたび寄席、田辺寄席、大念仏寺寄席、紀ノ川寄席などなどで、入門3年から7年ぐらいの若手の落語家や講談師が「ぐる~ぷ寄席あつめ」という集団を作り、毎月あるいは二カ月に一度という具合で定期的に行われていた。
メンバーは南右さんの他、桂文太、桂雀三郎、桂文福、笑福亭仁福、桂文喬、桂吉朝、桂米八、桂雀松(現・文之助)、旭堂南学(現・南左衛門)、旭堂南光(現・南鱗)ら。
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後に私も「ぐる~ぷ寄席あつめ」に参加することになるのだが当時はまだ修行中、前座を勤めさせてもらっていた。
前座とはいえ自分の出番のときは主役だ。お芝居などと違って舞台には自分一人しかいない。当然観客の目も自分一人に集中する。
若手の噺家は誰でも経験することだが、前座は・・・ウケない。笑ってもらえない。
もちろん開演直後なので客席が落ち着いていない(我々の業界用語で、温まっていない)ということもあるが、もっと大きな原因はこちらの力不足。つまり「ヘタ」ということだ。
入門したてでまだ修行中の身、ヘタなのは自分でもよくわかっているが、あとに出る先輩たちだってまだ若手。客観的にみて上手くはない。なのにウケる。よく笑いを取っている。
なんで? どう考えても自分とそんなに実力は変わらないのに、自分の高座のときはシーンとしている客席が先輩たちのときは笑いに溢れている。
まったくウケないで高座を降りても先輩たちから叱られるようなことはない。皆それが当然だと思っている。自分もそうだったからなのだろう。
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これが素人落語の経験のない者なら、そんなものだろうと思うこともできるかもしれないが私は違う。素人のときはたいがいウケていた。かなり難しい噺をしてもそれなりにウケていた。なのに今の自分はなんなのか。当然ウケるように作られている噺をしているのにウケない。
悩みますよ、ホンマに。
あるとき先輩の噺家に言われたことがある。
「枝女太は上手にやろうとしすぎてる。今はまだヘタで当たり前。上手口調にならずに、とにかく大きな声で元気よくやれ」
なるほどと思った。お客さんは前座にうまさは求めていない。元気よく演じて会場を明るい雰囲気にしてくれればと思っている。少し先が見えた気がした。
素人のときのお客さんは殆どが自分の知り合い。はじめから好意的に見てくれている。しかしプロの舞台に立てば観客の殆どはまったく私を知らない。この差は大きかった。でもとにかく大きな声で元気よく、これが前座の仕事、自分のするべきことが理解できて少し先が見えた気がした。
しかし、この世界のことが少しずつわかってくると、また別の不安が襲いかかってきた。
マジで落語家をやめようと思ったのは、こうして少し慣れてきたときだった。