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⑫廃業・・・か?~師匠五代目桂文枝と歩んだ道:桂枝女太

桂枝女太

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落語家は何の保証もない職業。仲間はいるものの、基本的に自助を求められ、ある意味孤独です。不安が大きくなった時、若き日の桂枝女太師匠はある決断を下そうとします。その決断を覆したのは、ある人の一言だったとか。

好きなことを仕事にする人なら、一度は考えた経験があるでしょう。桂枝女太師匠の思い出コラム、じっくりお読みください。

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廃業・・・か?

ペイペイの新人ながら、何度も舞台を踏むとそれなりにかたちになっていくというか、馴れてくるというか、少しずつウケるようにもなってきた。

もちろんその日の状況にもよる。先週はよくウケたのに、同じネタで今日はまったくダメという日もある。

これも馴れなのか、そういうことにあまり一喜一憂しなくなってきた。気にしても仕方がない、こんな日もある。

気持ちの切り替えといえば聞こえはいいが、一種の開き直り。

それでも気持ちの中では忸怩たるものがあった。ただあまり表情に出さなくなっただけのことだ。

18歳で入門し2年ほど経った頃、舞台の出来不出来とか、自分の技量とかではなく別のところでだんだんと不安が大きくなっていった。将来への不安だ。

とにかく落語が好きで、一生落語に関わって生きていけたらそれで満足、そういう気持ちでプロ入りしたのだが、この世界に少し慣れてくると色々と考えるようになってくる。

このままで大丈夫なのか。将来的に本当に落語家で食っていけるのか。

もし落語家にならずに大学へ進学していたら、もちろん収入はないにしてもある程度将来というものが描ける。

しかし自分はどうだ。収入といえるほどの収入もなく、将来の目処がたっているわけでもなく、ましてや何の資格もない。無い無い尽くし。

そりゃ不安にもなりますよ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

それでも、長年この世界にいる人が全員それなりの収入を得てそれなりの生活をしているのならば、まだ希望というか先が見える感じはするけれどもそうではない。

しっかりと落語だけで、あるいは芸能活動だけで十分食えている人の方が少ない。

アルバイトは当たり前、なかには町工場などでほとんど正社員同様で働き、落語の仕事があれば会社に頼んで休みを取って・・・という人もいる。

私は他の仕事をしながら落語家をするということ自体はあってもいいと思っている。

でもいざ自分はとなると、そんなことはしたくない。落語一本、芸能活動一本でいきたい。誰でもそう思うだろう。しかし現実はそんなに甘いのか。

芸能界に限らずどの世界でもこういうことはあるのかも知れない。将来への不安が昂じると考えることはひとつ・・・やめる。

まだ若い。今ならやり直せる。そう思うと他のことは考えられなくなった。

やめよう。いつ師匠に言うか。師匠はどう言われるか。どう言われてもいい。やめるのだから。

しばらくはそんなことばかり考えていた。そんなときにかぎって・・・。

先輩の噺家から落語会への出演依頼がきた。どうしよう。とにかくこの仕事だけは引き受けて、これを最後の舞台にしよう。しかしその日が近づいてくるとまた他の先輩から別の落語会への出演依頼がくる。

なぜか、本当になぜかわからないが引き受けてしまう。なんで断らなかったのか。

おそらく自分の中で迷っていたのだろう。この世界にまだ未練があったのか、他の世界で生きる自信がなかったのか。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

しかしこんなことをしていたのではいつまで経っても埒が明かない。やめようと思ってからすでに数カ月が経っている。自分一人で考えていても踏ん切りがつかないので他人に相談することにした。

高校の落研時代の先輩、学校は違うが弟のように可愛がってくれていた先輩に相談した。その人もいっときこの世界に飛び込んで、1年ちょっとでやめていった人だった。その人に相談したらきっとやめる方向で背中を押してくれるだろう。

「やめようと思うんです」

そのときの先輩は一瞬「えっ?」という顔になったがすぐに優しい顔になり、

「そうか、枝女太が決めたんなら俺はなんにも言わん。それもええと思う。けど俺は思うねんけど、おまえが噺家やめたら、将来の上方落語界にとって大きな損失やで」

頭を殴られたような気がした。こんな止め方ある?

この人詐欺師になったら絶対大成するで。今の私ならそう思うだろう。

でもそのときは二十歳そこそこ。一芸を目指して挫折しかかった若者に対してこの言葉は効いた。

「そうか、自分ではわからんけど、俺そんなに才能あんのんか」

アホです。完全にアホです。

そのアホが今の私です。

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