東大阪市菱屋で桂米之助師匠の掛け声で始まった「岩田寄席」。今年芸歴50周年を迎える桂春若師匠の原風景ともいえる寄席です。若手が高座に上がる機会を増やし、腕を磨いていった「岩田寄席」もついに幕を閉じる時が……。
この時、発起人の桂米之助師匠は何を若手噺家に託したのでしょうか。桂春若師匠所蔵の当時の資料とともにお楽しみください。
岩田寄席 打ち上げ
ターやんこと桂米太郎が亡くなってから”和歌山のおいやん”桂文福さんにレギュラーに加わっていただきました。
もともと近くの瓢箪山に住んでいたので、表のイラスト入り看板を描いてもらったりとよく手伝ってくれていました。
「落語集団 岩田寄席」としてもいろんなお仕事を頂くようになります。
3周年の昭和50年には「葛城納涼寄席」として、葛城高原の山頂に特設舞台を造り、落語、講談、大喜利も演りました。
当時の新聞を見ますと、何と3500人もの登山客の皆さんに楽しんでいただいてます。
その後も東大阪ふれあい祭り、NTTトーク寄席、トヨペット寄席、布施第一デパート落語会、天理寄席、ひらの寄席、業平寄席(石切千手寺での落語会、境内には二世曽呂利新左衛門の句碑があります)
あるホテルの大喜利の仕事では、主催者からいただいたギャラ袋のあまりの分厚さに一同喜んで、部屋へ帰って中を開けてみたら一万円札ではなく千円札ばっかり入ってた事もありました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして平成4年8月8日。東大阪市文化会館で「20周年打ち上げ公演」と成ります。
打ち上げ公演の東大阪文化会館は500人ぐらい入るホールでしたが、立ち見が出るほどの大入満員。
「これだけ入るんやったらもう一辺打ち上げ公演やろか!」
と皆で話していました。
米之助師匠の口上です。
「この菱屋東中地区会館の、いわば”岩田寄席”の”本家”はこれで閉めますが、ここに並んでおります【落語集団、岩田寄席】としましては、まだまだやり残した事がございます。
あちこちで岩田寄席の看板をかけてまいりますので、これからも変わらぬご支援を御願い致します。」
「落語集団、岩田寄席」としては、その年の9月にレギュラーメンバーそのままで「上方五人男、ちょっと暫亭」に引き継がれます。
前述のひらの寄席は来年(令和3年)1月に「200回突破記念公演」を開催いたします。
「岩田寄席」で教えて頂いた事をこれからも伝えて行きたいと思っています。