張り扇片手に日々闘う講談師の神田春陽先生。気が付けばもう五十路目前の年齢になり、何かにドキドキすることなど忘れてしまう日々。そんな神田春陽先生が子供のようにドキドキした出来事があったとのこと。それはいったい何だったのでしょう。
今回も神田春陽先生は闘っておられます。お楽しみください!
強い決意
コロナ禍になって初めての出張をして来た。
今年初の新幹線に乗り新大阪へ。新大阪から御堂筋線に乗り京橋(※編集部注:淀屋橋か?)から京阪電車に乗り換え寝屋川市駅まで。そこから会場までバスで移動した。
東京から約3時間半の行程。
久しぶりの新幹線は子供のようにドキドキしてしまった。
コロナ禍以前では当り前の事だったのに、今ではとても幸福に感じてしまう。
本番は翌日なのでリハーサルを終え、スタッフと宿に入る為、再び寝屋川市駅まで移動。駅のホームに経ちヒョイッと次の電車を伝える電光掲示板を見て、不思議な感覚に襲われた。
そこに表示されていたのは、行き先と特急、普通電車を教える文字だけで、到着時刻がないのだ。
「エッ、次の電車、何分?」「トイレに行けるかな」我々から発せられる言葉の数々。「何故、時間が無いのだ」
この答えを皆で考えてみたが正解は出ない。
これは「どんな事があっても、電車の到着発車が遅れても絶対謝らないぞ」と云う京阪電車の強い決意の現われではないかと云う事で意見が一致した。
関東の車内放送のほとんどは謝罪のような気がする。
「人身事故で遅れています」「踏切に人が侵入したため」「車内点検の為・・・」
確かに一駅ごとに乗客が乗り降りするので、それぞれ謝罪が必要なのかもしれない。度々聞く方は「もういいよ」とゲンナリしてくる。
いいじゃないか!少し遅れても!このコロナ時代、のんびり行きましょうよ!
有意義な大阪の旅でした。