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⑰奥さん~師匠桂米朝と過ごした日々:桂米左

桂米左

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桂米朝師匠のお弟子さんは、内弟子修業を約3年行います。この時、キーパーソンとなるのが桂米朝師匠の妻である中川絹子さんです。一つ屋根の下弟子たちと暮らし、温かく見守りました。

その中川絹子さんへの想いを、桂米左師匠につづっていただきました。桂米左師匠にとって、とても大きな存在だったようです。大切な思い出、あなたも一緒に感じてください。

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奥さん

師匠も大きいですが、それよりも大きいのが奥さんではないかと・・・いや、ひょっとしたら師匠以上かも知れません。

東京では”おかみさん”が主流ですが、大阪では”奥さん”または”アーチャン”。松鶴、春団治の御一門は”アーチャン”で米朝、文枝御一門は”奥さん”です。

アーチャンと言うのは小さい子が「お母ちゃん」と言えずアーチャンと言うた、いわば幼児語です。
ちなみに師匠米朝の愛称「チャーチャン」も本来ならお母さんを表す幼児語なんですが、米團治兄がお父さんと言えず「チャーチャン」と言うたのがそのまま師匠の愛称になり、家族門弟等が言うようになりました。

・・・と聞いております。

一門、特に直弟子は親しみを込めて”ママ”と呼びます。これも息子さん達が小さい頃に言うてはったのが、いつしか皆が言うようになりました。

・・・と聞いております。

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師匠も内弟子には「とにかくお母んを怒らすような事をするな」と言いはります。大変やと思いますよ実際の所。赤の他人が家に入って生活するんですから。ホント肝っ玉母さん、ゴッドマザーです。


また「若柳吉古錦わかやぎきちこきん」と言う名で日舞の師範で家で教室もしてはりました。有難い事に噺家の素養の一つ、踊りをタダで教えてもらいました。あの時もっと一生懸命稽古していたら今頃は・・・奥さん、すみません。

入門して1か月後、奥さんのお供で踊りの会に行きました。食事の時に「あんた今日、誕生日やったな」と言いはると「ほなこれにし」とステーキをご馳走してくれはりました。嬉しかった19歳の誕生日。・・・恥ずかしい話、人生で初めてステーキなる物を食しました。美味かった・・・!!

内弟子を出てからでも大掃除や家の用事をするのは弟子として当たり前の事ですのに、終わると祝儀?日当?お小遣い?まで下さり一杯飲ませてくれはりました。その時既に、師匠は待ち構えてはりましたが・・・。

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結婚しますと報告に行った時は本当に喜んで頂き、仲人をして頂いた。師匠御夫妻は仲人を多く務めはりまして、もう仲人はせんと言うのを弟子という事でウチが最後やと引き受けてくださいました。

所帯を持って二回引越しをしましたが、その時も「あんたとこ、あの娘も働いてるんやろ。引っ越しでバタバタしてご飯拵えも大変なんやからこれ持って帰り」とホテルで売っているような高い缶詰をたくさん持たせてくれはりました。有難かった。

分不相応にも中古マンションを買う事になりましたと話しますと「あんたよかったなぁ。けどあの娘のお陰が半分以上やで。あの娘に感謝せなアカンで」と嫁さんに礼言いやと言われたような感じでした。

そんな奥さん・・・ママが亡くなって6年余り、決してええ弟子ではありませんでした。けど3年間育ててくれはりました。大恩ある奥さん。感謝しかありません。

ママ!有難うございました。

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