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お茶くみの大切さ~東海道島田宿からお江戸へ:三遊亭遊喜

三遊亭遊喜

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前座修業の前段階、前座見習いを経て、いよいよ楽屋入りです。これから本格的な前座修業が始まります。三遊亭遊喜師匠ももちろん経験されたことです。1995年のこと、その時は「遊やけ」の芸名をいただいていました。

さて、三遊亭遊喜師匠が経験された前座修業はどのようなものだったのでしょうか?今思うと、とても大切なことがあるのだそう。それは…。

他の業種にも通じる気遣いの修業、じっくりとお読みください。

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お茶くみの大切さ

いよいよ寄席の楽屋入り。前座が何人もいるなかで、一番下の前座の兄さんにくっついて一日が終わります。

前座でも香盤があり、一番上の前座と中堅前座、下っぱ前座で楽屋での仕事がまったく違います。一番上の前座は立前座と呼ばれ、寄席の番組や楽屋全般を差配する責任者。中堅前座は太鼓を叩いたり着物の着付けや畳みなどなど。下っぱ前座はお茶くみや高座がえし、下足の上げ下げなどなど。

楽屋入りすると兄さんのあとにくっついて覚えます。出来そうだと判断されると、「お茶をだしてみろ」「次は高座がえしだ」。一通り下っ端の仕事ができるようになると、「高座に上がってみるか」と立前座に言われて高座にあがるのです。それも当日急に。

なんの前触れもなく私の初高座は末広亭で『寿限無』でした。とにかく最後までやったというそれだけで、高座から下りたらすぐお茶くみ高座返し、下足、灰皿替え…。初高座の余韻に浸ることなど一ミリもなかったです。

そんな調子で数か月たった頃には、すべて一人でできるようになるわけです。

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楽屋入りする前に師匠小遊三から「まず前座は余計な事はしゃべるな。お茶と下足の出すタイミングを気をつけなさい」と教えられました。これは師匠方が何かやっている時にお茶を出しても受け取れない、こいつは間が悪いやつだと判断される。香盤があるから出す順番が違うと、出された方も嫌な気分になる。下足も「師匠方が帰る絶妙なタイミングで出せ」と。早くから下足を出しておくとさっさと帰れと言っているようなものだと。

楽屋で前座働きをするようになると、これがなかなか難しいのです。ちゃんと楽屋の様子を見てないとできないのです。ボーっとしてたり楽屋から離れたりしていたら、その絶妙の間がずれるわけです。つまり余計なことしゃべっていたら、そこに気が付かない。

前座は自分から師匠方にしゃべりかける事は基本ありません。

しゃべりかけてくださった時に、初めてなにか話す事ができるわけで。先輩師匠方としゃべるきっかけが、お茶くみだったりするわけです。

お茶の好みも皆さん違うのでそれを覚えて、いいタイミングでお茶を出す。それを続けていると、そのうち先輩方から色々話しかけてくださるようになり、顔を知ってもらえるようになるのです。

真打になって暫くしてから楽屋でお茶をもらうようになると、お茶くみの大切さがよくわかります。無駄じゃないですよ。お茶くみはお茶一杯にも人間性があらわれます。

顔を覚えてもらえるようになると、他の落語会の前座で声をかけてもらえるようになります。兄弟子や先輩方から落語会に声かけてを頂くようになると、今度は地方公演に前座で呼んで頂くようになり。これは「旅にいく」などと言われます。

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初めて地方公演で前座で行ったのは、南治師匠に連れて行って頂いた山形でした。

現小南師匠(当時 小南治師匠)と三人の旅で、会場について南治師匠が「地方公演ははじめてなのか。いいか、高座に上がったら笑っちゃダメだぞ~」と真顔でアドバイスしてくる。どういうことなのかさっぱり分からず高座に上がると、お客様全員が手ぬぐいでほっかぶりをしていて思わず笑ってしまいました。

地域の豊作を祝う行事での落語会で、その夜の宿舎での打ち上げはそのことで大盛り上がりでした。現小南(当時 小南治師匠)からは「初めての旅が南治兄さんとは たいへんだな (笑)」と言われたことが記憶に残っています。

その時は何のことか、さっぱり分かりませんでした。あとになってよくよく考えると、南治師匠はお酒の席はもちろんですが、その他の事でも逸話がありすぎる豪快な師匠だったのです。そんな師匠に可愛がってもらったこともあり、毎年のように山形に連れて行ってもらい色々と学ばせてもらいました。

南治師匠が亡くなってからは山形へ行く機会が少なくなってしまい、なんだか寂しいです。それでも、山形に行くたびに思い出します。

そんなこんなで、前座修行はまだまだ続きます。

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