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⑰さりげなく鯛の尾頭付き~東海道島田宿からお江戸へ:三遊亭遊喜

三遊亭遊喜

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三遊亭遊喜師匠は前座時代「遊やけ」という前座名で修業されておられました。いよいよ二つ目に昇進となった際、芸名を変えることに。さて、どのような経緯で決められたのでしょうか?

お師匠さんである三遊亭小遊三師匠とのやり取りに心温まります。三遊亭遊喜師匠の思い出、じっくりお読みください。

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さりげなく鯛の尾頭付き

落語家前座修行も後半戦、数々のしくじりを搔い潜りながらようやく二ツ目昇進が決定します。

昇進する半年ぐらい前から、二ツ目昇進の名前をどうするかなどの相談が師匠と繰り広げられるわけですが「そのうち考えるからと」いっこうに決まる気配もなく、時がたつばかり。

名前が決まらないと手ぬぐいの発注が遅れてしまい、挨拶まわりの時に間に合わない可能性があるわけです。なかなか決まらず、ヤキモキしていました。

そんな日々が続いていたある日の打ち上げの帰り、タクシーに師匠と二人で乗り込んで暫くのことです。突然、ひらめいたように師匠が言いました。

「名前決めた。”ゆうき”だ」 

「はい”ゆうき”って、どんな字でしょうか?」

「遊ぶに喜ぶで”遊喜”だ。き・ま・り」

「はい。ありがとうございます」

名前は突然決まるものなのかと感じながら、昇進の準備にとりかかるわけです。

二ツ目に昇進する時には、名入りの手ぬぐいや黒紋付、袴に色紋付などなどと、それなりの費用がかかります。4~5年の前座修行の中で、なんとかこれをこしらえます。お年玉をためて置いたり、わりをためたり。もうそのあたりは人それぞれで。最後はご祝儀に頼るだけです。

兄弟子がいるとありがたいのもで、手ぬぐいから着物まで色んなところを紹介していただきました。そのおかげで、無事に挨拶まわりまでに間に合いました。各寄席、会長に副会長、理事や一門の師匠方、 忘れてはならないのが稽古をつけていただいた師匠のところへとご挨拶に伺います。これを終えると、いよいよ二ツ目昇進です。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

1999年4月1日、浅草演芸ホールに向かう前に師匠宅に初日の挨拶へ。いつも通りにソファーに座っている師匠の前で正座して「おはようございます」と挨拶をしたら、

「正座しなくていいから、椅子に座れ。もう前座じゃーねーから」

「はい ありがとうございます」

昨日まで前座で今日から二ツ目。昨日まで床で正座だったのに、今日からソファー。それだけで、二ツ目って凄い事なんだと実感しました。

おかみさんが「寄席行く前にご飯食べてきなさい」と声をかけてくれました。いつも通りテーブルに着くと、鯛の尾頭付きがさりげなく目の前に。そして一言「おめでとう」。

当時、師匠の家に行かない前座が多い中、ちゃんと通わせて頂き感謝しかありません。色々ときびしい師匠でしたが、良い師匠とおかみさんのもとで前座修行させてもらいよかったなと思いました。

おめでたい鯛の尾頭付きを食し、いざ浅草へ。

昨日まで一緒に前座修行していた仲間とお囃子さんにご祝儀を渡し、二ツ目として初めての高座へ向かいます。

しかし、その前に袴問題が発生します。黒紋付き羽織袴の袴です。前座は袴ははかないからわからないのです。とにかく紐の結びがむずかしいの。何とかこれもクリアーしていよいよ高座へ。根多は『やかん』だったと思います。

高座を下りてからは、楽屋にいる先輩方に二ツ目昇進の挨拶で手ぬぐいを渡すという大事なミッションが待っているのです。手ぬぐいを渡すと「おめでとう」と言われ、ご祝儀を頂けるのです。もうめちゃくちゃ大事なミッションです。まだ色々と支払いが残っているのですから、大事に決まってるわけです。

ありがたいことに楽屋にいると、「せっかくだからご飯食べに行こう」と誘ってもらったり、飲みに連れってもらったり、先輩方から「二ツ目の心得」みたいなものをごちそうになりながら聞いたりと、前座とはまた違う扱いになった感じに驚きを隠せない自分がいるのです。

そんな調子で、浅草・演芸ホール・末廣亭・池袋演芸場・広小路亭・日本橋亭と、二ツ目昇進祝いで出演させて頂いた後は、正真正銘の下っ端二ツ目としてのスタートです。 

当時26歳。今思えば相当若かった。落語ブームもなく、ネット社会でもなく。

そんな時代の二ツ目はどうやって生きていたのか。次回からの二ツ目編をお楽しみに。

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