絶望の中、重なる闘病と救いの手

抗生物質を飲むと熱は下がり、きゅんくんの食欲も戻りました。けれど、時々ぐったりします。その都度、お母さんは動物病院につれていき、点滴をうってもらいます。点滴をうつとまた食欲は回復し元気になるものの、しばらくするとまたぐったり。
ついに2022年2月、手足に力が入らなくなり首から下が動かなくなってしまいました。お母さんはきゅんくんを抱え、飛ぶようにして動物病院へ。血液検査をすると、微量ながらも猫コロナウイルスの反応が出ました。獣医師は言います。
「これはFIPと断定して、一刻も早く治療を始めた方が良い」
お母さんは目の前が真っ暗になりました。致死率の高いFIP(猫伝染性腹膜炎)は当時不治の病だといわれ、治療には困難が伴う高額な薬が必要だったからです。それでもきゅんくんの命は守りたい。
お母さんは藁にも縋る思いで、クラウドファンディングを立ち上げました。しかし、これが予期せぬ苦しみを生みます。インターネット上での厳しい言葉に、心は削られました。
それだけでも辛いのに、きゅんくんの病状がなかなか回復しないのです。決められた時間を守り、つきっきりで向き合っているのに、快方に向かいません。
恐れていたFIPが3度も再発
獣医師に相談すると、薬が効きにくい体質なのだろうと。3度は薬を変えました。特に辛かったのは、3度目の再発時です。四肢麻痺が悪化し、瀕死の状態となったきゅんくんを前に、お母さんは立ち尽くします。
経済的にも精神的にも、限界はとうに超えていました。それでも、きゅんくんの頑張る姿を見るたび、立ち止まるわけにはいかなかったのです。
そんな時、手を差し伸べてくれたのが、きゅんくんの故郷である「ねころび荘」と、きゅんくんが元々所属していた「高槻ねこのおうち(高槻ねこの会)」でした。お母さんがきゅんくんに付き添い、一歩も動けない中、両団体のスタッフは「どこか受け入れてくれる病院はないか」と様々な病院へ必死に電話をし、かけあってくれました。
その末に見つかったのが、兵庫県の専門医。2時間以上かけて車で向かい、きゅんくんを診てもらいます。専門医は深刻な面持ちで告げました。
「神経症状が進んでいる子は、回復が非常に難しい」
薄っすらと気付いてはいたけれど、改めて宣告されると心臓にえぐるような痛みが走ります。お母さんはきゅんくんを抱きしめ、帰路につきました。
きゅんくんの生きる力を見て、「私が治してみせる」
帰宅すると、高槻ねこのおうちが手配してくれた酸素室が準備されています。きゅんくんが少しでも楽になるようにと、お母さんはそこに寝かせました。そして、少しだけでもご飯を口にしてほしいと切実な思いから、茹でたささみをきゅんくんの目の前に置きます。すると、きゅんくんが食べたそうに首を伸ばすではありませんか。
「この子は生きようとしているんだ」
お母さんは自分を奮い立たせました。私が諦めるわけにはいかないと。
それからお母さんは、誰よりもきゅんくんの側で変化に気づける家族として、最大限の覚悟を持って治療に臨みました。一分一秒の異変も見逃さないよう、つきっきりの日々。薬のケアはもちろん、硬くなった手足を毎日マッサージし、きゅんくんの生命力に語りかけ続けました。
4度目の投薬が終わったのは、2023年1月末のこと。目の前のきゅんくんは元気そうに見えます。しかし、油断はできません。以前、投薬が終わった4日目に再発しましたから。寝たきりになってしまったきゅんくんをさすりながら、お母さんは祈ります。どうか、どうか…と。
きゅんくんが教えてくれた大切なもの

2023年夏、きゅんくんがK家に来て丸2年が経ちました。きゅんくんは大きな異変もなく、寝たきりながらも元気に過ごしています。この姿にお母さんはようやく安堵ができました。
そして、改めてきゅんくんに掛かり切りだったこの2年間を振り返りました。お父さんはきゅんくんの病気と一緒に向き合ってくれ、大きなサポートをしてくれた。息子もそう。ジークくんやノアールちゃんも、お母さんに構ってもらえないことに腹を立てることなく寄り添ってくれた。
「私、幸せなんだ」
お母さんは今まで生きる目的などなく、ただ日々を過ごしていくだけ。しかし、きゅんくんと出会ってから、必死に走り抜けた時間の中で大切なものが分かりました。
それは家族だけではありません。治療費を支援してくれた人達、SNSで温かい声をかけてくれる人達、すべてきゅんくんがつないでくれたご縁です。
多くの人の支えで生きていると実感したお母さんは、再び歩み始めます。
諦めなかった日々が穏やかな見送りに

きゅんくんはその後、尿路結石になることもありましたが、お母さんの懸命な治療により回復し、誰もがこのまま低空飛行でも平和に過ごしていけると思っていました。そう思えるほど、穏やかな日々だったんです。
でも、きゅんくんは神様に愛されている子なのでしょう。2025年夏、きゅんくんがK家にやってきて4年目、静かに虹の橋のたもとへ旅立っていきました。お母さんの腕に抱かれながら。
永遠の別れから約半年が経ちました。きゅんくんがいなくなった家は、少しだけ広く感じます。それでも、きゅんくんが生きた日々を思い出すと「きゅっきゅっ」という、あの可愛らしい声が聞こえてくるかのよう。
きゅんくん、よく頑張ったね。またどこかで会おうね。
筆者・寄席つむぎ主宰のふじかわより結びの一言
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。この記事を公開するにあたり、私にはどうしても守りたいものがありました。
それは、きゅんくんの家族の平穏です。 この4年間、ご家族がどれほどの困難に立ち向かい、どれほどの深い愛できゅんくんを抱きしめてきたか。その真実は、誰にも、どんな言葉によっても汚されるものではありません。
インターネットという海には、時に激しい波が立つこともあります。しかし、この「寄席つむぎ」という場所だけは、きゅんくんが穏やかに鳴き、お母さんが笑顔で駆けつける、あのリビングのような温かい場所でありたいと願っています。
ここにあるのは、一つの家族の「愛の記憶」です。どうか、静かに見守っていただければ幸いです。


