六代目笑福亭松鶴師匠は東京の落語家とも交流が盛んだったそう。中でも古今亭志ん朝師匠と立川談志師匠とは懇意になさっていたとのこと。この交流が現代の東西交流につながっていると聞きます。
立川談志師匠は六代目笑福亭松鶴師匠に負けず劣らず、強烈なキャラクターの方だったようです。笑福亭鶴光師匠に思い出をつづっていただきました。いやはや、大変だったようで……。お楽しみください!
鳥肌
師匠松鶴の『らくだ』を聞いて鳥肌を立てた東京の噺家が居りました。古今亭志ん朝師匠と立川談志師匠です。道頓堀の角座に来ると、内の師匠はこの二人を後ろの出番にして自分は前の方に出る。
大看板でこういう思いやりが出来るのは松鶴只一人。他の人はわしの方が先輩やとばかり出番を譲らない。
一度、談志師匠が角座でトリをとる事になった。角座史上始まって以来の出来事です。さすが人気者のごり押しは支配人を動かす。
普段のトリの宮川左近ショーも内心は面白くない。いつもより力を入れてやる。もうお客様はお腹一杯の大満足。
漫才のあとは、落語の高座を作るためにいったん緞帳を閉める。この時点で客席は半分に成った。
改めて幕が開き、出囃子で談志登場し開口一番
「俺の芸の判らねえ奴は今すぐ帰れ」
これで又半分が消える。
中には高座の前まで来たおじさんが
「帰ったるわいアホ」捨て台詞を残して去る。
その後、『小猿七之助』と言う笑いの少ないネタを45分間。漫才を楽しみに来たお客様はぐったりとして帰路に立つ。
その点志ん朝師匠はそつがない。強情灸や時そばを淡々とやってました。
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楽屋へお邪魔すると談志師匠が飲みに誘ってくれました。心斎橋を歩いてると酔っぱらいが声を掛ける。
「よ~芸人」
談志師匠が返答する。
「何や貧乏人」一触即発。
もうこの方と飲むのはやめようと心に誓いました。
その朝大阪のラジオの生出演、パーソナリティーが
「二日酔いですか?」
「夕べ鶴光と一緒に」
「眠いですか?」
「来たくなかったよこんな状態で、そうだろう土〇(肉体労働者の呼び方)だって雨の日は休むんだから」すぐにコマーシャルに入り暫く音楽が流れてました。
放送禁止用語お構いなし。
到頭角座出演5日目に反社会勢力の人に木刀で頭を殴られ何針か縫ったそうです。
その話を聞いた師匠松鶴が
「談志は頭の切れる男だ」
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談志師匠が選挙に出ました。その時に友達の月亭可朝師匠が応援に行き何を思ったのか「談志が出るなら俺も出る」その日の内に届け出を出した。
テレビ番組『新婚さんいらっしゃい』は当時可朝さんと三枝(現文枝)さん二人が司会。急遽三枝さんがMCになり、それから今やギネスブックに載る記録を立てた。そのきっかけは可朝師匠の突然の立候補。8万票取ったが落選。
一方、談志師匠は参議院議員。選挙の時に先代の林家三平師匠が応援に来て選挙カーに乗って「三平です三平です、よろしくお願いい致します」
東京の根岸(三平師匠の住居)で林家三平に18票入ったそうです。
議員に成って沖縄北方担当政務次官沖縄へ颯爽と乗り込んで記者の質問に切れた師匠
「うるせー」この一言で政務次官のポストを棒に振りました、愛すべき師匠の一人です。