令和2年から始まったコロナ禍は、遂に年をまたいでしまいました。コロナの影響で気軽に人と会うことが出来なくなり、何とはなしに心細さが募ります。
そんな折、神田春陽先生は同期の皆さんと再会されたとのこと。そこで話されたことは……。今回も神田春陽先生は闘っています。抗えず受け入れているように見えますが、闘っています。お楽しみください!
増える思い出、上がる数値
令和2年12月、都内某所で同期の面々と集う事が出来た。前回の緊急事態宣言が発出される少し前に集まったのが最後だから、約10カ月ぶりか!
もちろん仕事場の楽屋である。定期的に開催されている会も、コロナ禍で休みとなってしまったので仕方がない。
各々が近況を報告しあい、お互いの傷をナメあうように励ましあった。
一通り傷をナメあった後は、未来の事やコロナの事、ワクチンの事、飲食店の事など一切語り合う事はない。
この後の話題は思い出話が中心になる。
細かく分析すると思い出話が八、病気の話が二といったところだろう。
「あんな場所で仕事した」「あの人にこう言われた」「あの人にこんな事された」「あの時、こんな事があったあんな事があった」etc…
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知っている事も知らない事も、楽屋の笑いのタネとなる。
思い出話の合間合間にサラッと血圧の話が飛び込んで来て、お互いの数値比べが始まり、全員の数値が出揃うと再び思い出話が始まる。そして、合間には血糖値の数値比べとなる。
芸人の世界に飛び込んで早20年。思い出も増えれば数値も上がるし、薬も増える。
20年前、芸道一筋に生きるつもりでいたのが、今では健康第一となってしまった。
もっとも健康でなければ、講釈もできないのだから……。
「20年、講釈を続けて来れたのは健康だったから」
このコロナ時代、心の底からそう思う今日この頃である。