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②島田市~東海道島田宿からお江戸へ:三遊亭遊喜

三遊亭遊喜

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静岡県島田市をご存知でしょうか?静岡県の中部に位置し、緑豊かな街です。「笑顔あふれる安心のまち」がキャッチコピーとのこと。この島田市は、三遊亭遊喜師匠の出身地です。

この町でどのように三遊亭遊喜師匠が育っていったのでしょうか。今の高座スタイルにつながるものは?謎が今解き明かされます!多分。

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島田市

私が生まれ育った静岡県島田市しまだしをご存知でしょうか?

落語家として全国各地に公演に行きますと、担当の方とよく出身地の話題になります。

どこの出身ですか? と聞かれれば

「静岡です」

「静岡のどこですか?」

「島田です」

「え?下田(しもだ)ですか?」

「いえ、島田(しまだ)です」

「島田は静岡県のどのあたりですか?」

とこうなる。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

静岡県は広いですからね。ざっくり言うと静岡市と浜松市のちょうど真ん中ぐらいですかねと答えると、

「はーー、そうですか。で、どこですか?」 

「大井川があるところです」

「あーーー、大井川ですか!なんとなくわかります」

心の中では「絶対に分かってないだろう」とつぶやきながら何とか会話を成立させるという、儀式みたいなものが毎回繰り交わされます。

ちょっと年配の方ですと帯祭りというのがあるので 「長唄のお師匠さん達が東京から大勢きて賑やかな所なのでしょ」や、「島田宿で大井川の川止めの所だね」「文金高島田の島田髷だ」と言われます。

知ってくれているだけでうれしいものです。

そんな島田市で生まれ、高校卒業するまで育ちました。今現在ありがたいことに、島田市のふるさと大使を務めさせていただいています。

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よく江戸っ子は三代続かないと江戸っ子ではないと言われますが、それにあてはめると父は山梨の南部町出身で母は静岡市の出身ですから、私は生粋の島田っ子ではないです。  

父の勤めていた会社が島田にありそこで定住したといったころでしょうか。

仕事のことはほとんど聞いたことがないので推測でしかないのですが、父は理系出身で営業職ではなく化学系の仕事をしていました。

定時に帰宅できるらしく、会社から帰ってきたら庭の手入れをして、夕飯食べて風呂入ってテレビ見て寝る。そんなごく普通の家庭でした。

父の趣味は麻雀と詩吟で、私が小さい頃は時々友人を集めて麻雀をしていたのを覚えています。詩吟は学生の頃からやっていたらしく、詩吟の稽古は家でよくしていました。ラジオとテレビでは父は浪曲をいつも聞いていましたね。

母は結構能天気な人で、いつもにやにや笑っていました。若い頃映画が好きだったらしく、よく字幕付きの映画を見ていました。

子供の時分ですから、詩吟と浪曲もそうですが字幕なんかよくわからないから、何が面白いのかわかりませんでした。今思えば何かしら影響を受けたのかもしれませんが、どこにでもある本当に一般的な家庭だったと思います。

そこの長男として育ちました。長男と言っても末っ子長男です。姉・姉・私です。

いい意味で多分甘やかされた感と、ほったらかし感で育ったのかなと自分では分析しています。

末っ子の私から見て長女次女は本当に真面目で、多分親の言うこともちゃんと聞くし学校の先生の話も聞くような人だったと思います。その後の私ですから、両親も勝手に何とかなると思っていたのでしょう。

何とかなっているけど変な方向に行っちゃった!(笑)

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姉二人と私の性格は全く違います。姉を知っている人からは、弟にこんな奴がいたのかと驚くぐらいの違いです。

どうしてこの両親から落語家が生まれたのか謎ですよ。謎。なぞなぞですよ。

同級生に聞くとその片鱗はあったとも言うのですが、小学生の頃なんか何にも考えてないクソガキでしたからね。

今思い返しても近所によくいるいたずら好きのわんぱくクソガキです。本寸法ほんすんぽうのクソガキです。

今回このコラムを書く機会を与えてもらいましたので、その謎を解き明かすため 小さい頃の記憶を呼び起こし自分自身を分析し、その謎に迫ってみたいと思います。

一体いつ謎が解き明かされるのか? ご期待ください。

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