ラジオやドラマでも活躍中の落語家・笑福亭鶴光師匠。今年で年齢は72歳になられました。古希を過ぎた現在、50年以上にわたる落語家人生を振り返っていただきます。
第1回目は、鶴光師匠の師匠である六代目笑福亭松鶴師匠へ入門した時の思い出。まさかの方法で入門志願をし、その後入門を許されます。
涙あり笑いあり、鶴光師匠の歌『うぐいすだにミュージックホール』のきらびやかな世界観とは一味違うノスタルジックな世界をお楽しみください。
出会い
中学生の頃から、噺家になりたくて、自分なりに独学で落語を覚え、定時制高校卒業と同時にこの仕事を一生の仕事にと考える様になりました。
もっとも同窓生に(故)林家小染さんが居りましたのでその影響も有ったかもわかりません。彼は高校一年でやめ三代目林家染丸師匠に入門。卒業と同時に林家一門に来いと誘われたんですが、自分は自分の道を行きたいと断りました。
さて誰を選ぼうか?その当時昭和42年上方落語家は20人居りましたかな?今や300人に迫る勢いですが、会長が三代目林家染丸、その下に松鶴、米朝、春団治。小文枝(後の五代目文枝)いわゆる上方落語を今現在に発展させた四天王と呼ばれる師匠方。
色々悩んだ末に、私が選んだのは六代目笑福亭松鶴。何か名前に重みが有って格好ええ。今から考えたら単純な発想でしたな。
どうやって申し込んだら良いのか分らんので、そこで思いついたのが往復ハガキ。弟子にするなら〇しないなら×返事ください。
この思いつきも、今考えれば赤面の至り。まあそれだけ純真というか、必死だったんですな。
今はネットの社会。情報でどの師匠が厳しいか、優しいか、そんな情報で入ってくる邪な輩が居る。まぁそう言うのはタレント志望か、いずれ廃業と言う道を歩み落語道を全うする人はまず居らん。
だからインタビューで「尊敬する芸能人は?」に対する答えに藤山寛美さんと言うた奴が居る。それはそれで良えのやが、師匠を除いては○○と何故言えないのか?もっとひどいのは他の噺家の名前を出す奴もおる。こんなのは言語道断。まぁ往復はがきで入門を申し込む私もあんまり他人の事は言えんかも。
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往復はがきの返事は待てど暮らせど来ない。しびれ切らして師匠の家を訪ねて行ったら、奥様が出てらっしゃって、「今日は道頓堀の角座に出てるから、そこへ行きなさい」。
楽屋で面会申し込んだら不機嫌な顔で師匠が出てきました。「あ~やっぱり往復はがきで申し込んだのが原因で怒ってはるのかな?」と思うたらそうやなかった。
師匠の名前は【笑福亭松鶴】。私ははがきに【笑】と言う字を【松】と書いて出したらしい。しょうと読めるからね。【松福亭松鶴】これが気に入らなかったんやな。
「お前な、将来の人生の師匠にでも選ぼうかと言う人の名前を普通間違うか?失礼極まりのない奴や帰れ」
うわぁしくじったと思うて帰ろうとすると、そこへ松鶴独演会のチラシ持った業者が来ました。そのチラシ見たら、【松福亭松鶴独演会】と成ってました。