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上方落語家、東京で修業する~堅気に戻る機会~笑福亭里光

寄席芸人コラム
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上方落語家で初めて東京修行された笑福亭里光師匠。今回は入門時のエピソードをつづっていただきました。平成10年初夏、里光師匠の年齢は24歳。のちの師匠となる笑福亭鶴光師匠に入門志願をします。その方法とは?

奇想天外よりも地道な努力の人・笑福亭里光師匠のスタート地点を一緒に振り返ってみませんか。

堅気に戻る機会

こんにちは。笑福亭里光です。

僕は入門をお願いするのに手紙を書きました。

落語家になるには弟子入りしなければなりません。

色んな人がいます。師匠のお宅にいきなり訪ねて行く者、劇場の楽屋口で出待ちをする者等々。

そんな中から僕は「手紙を書く」という手段を選んだのです。

言っておきますが、師匠のように往復はがきではありません。

常識人でしたから(笑)。

今みたいにネットで簡単に何でも検索できるような時代ではなかった。

ですので、本屋さんに行って「手紙の書き方」なる本を片っ端から立ち読みしました。

突然のお手紙を詫びる挨拶から始まって相手を気遣う挨拶、自分自身の説明、そしていよいよ本題へ。

学生気分の抜け切れていない僕にとっては、何だか別世界の出来事を目にしてるよう。

でもこれは現実です。これらを全て自分で書かなければいけない。

それらを頭の中に叩き込んだ僕は、急いで帰って記憶の薄れないうちに一気に手紙を書き上げました。

返事は早かったですねぇ…(師匠の家に)着いたであろう翌日には届いた。

既に東京にいました(日本大学文理学部を卒業したんです、世間をお騒がせした)し、師匠も東京に拠点を移した後だったので、東京で噺家修行を始めるのは当然の流れでした。

手紙には東京での(鶴光の)直近の出番が幾つか書いてあり、都合が合う時に会いに来いとあった。

僕はその中から「お江戸上野広小路亭」に挨拶に行くことにしました。

早めに着いて松坂屋で手土産を買う。受付けで入場料払って客席座ったものの、会場内での記憶は全くありません。

覚えているのは終演後から。会場を出た僕は、他の人に混じってそのまま楽屋に向かいます。

そりゃもう緊張なんてもんじゃない。ド緊張。

ここから記憶は鮮明です。

当時師匠の鶴光はニッポン放送で「噂のゴールデンアワー」という番組をやっていました。

ちょうど夏を迎えるにあたって、番組特製の風鈴を作ったんですね。

それを落語会に来てくれたお客さんに自ら配ってた。

そりゃあもう驚きました。

「笑福亭鶴光」くらいになると終わればすぐ楽屋に帰って踏ん反り返ってると思いきや、お客さん一人一人に「おおきに」ちゅうて挨拶してる。

僕は相当混乱しました。

これ、お解りいただけますか?

上野広小路亭は3階が会場、2階がロビーと楽屋なんです。

僕の想定では、まず3階から2階に降りる。そしてロビーの奥の楽屋のドアをノックする。

そう、楽屋のドアをノックする時が緊張の頂点。一番ボルテージを上げるべき時です。

(楽屋のドアを)一度ノックしたらもう後戻りはできない(もっともノックだけして逃げ出すようなピンポンダッシュ野郎も居てますが・・)!

ド緊張してる中で、ノックの直前がもう一度冷静に戻れる時なんです。本当に俺は芸人になるのか!?と。

言い換えれば、楽屋のドアの前に立った時、ノックの直前が堅気に戻れる「最後のチャンス」なんです。

ロビーで愛想を振り撒いてる鶴光は、僕がその日唯一冷静になれる機会を奪った訳です。

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次回から笑福亭里光師匠の修業時代に突入です。楽しみですね!

笑福亭里光師匠はTwitterも(https://twitter.com/rikoshoufukutei)も随時更新中。こちらも要チェックです。

執筆者
笑福亭 里光

昭和48年、兵庫県西宮市に誕生
平成10年6月、笑福亭鶴光に入門、二番弟子(東京では一番弟子)
上方落語家であるものの、東京修行をした初めての人物。東西を行き来することで見聞を深め、高座に反映させている。人間のもつ喜怒哀楽の中で「哀」の表現が秀逸、一見の価値がある。細かいところにも気が利き聞き上手なため、意外と女性にモテるもの特徴。推理小説と犬が好き。

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