露の眞さんのアイドルコラム第4弾です。
音楽は人を元気にしてくれるもの。時には、自分の気づかない事を教えてくれることも。あなたもそんな音楽に出会うときがあるかも知れません。
眞さんに気付きを教えてくれた音楽、そして何に気付いたのか?どうぞお楽しみください。
『棘』に背中押されて。
NMB48を卒業されてからの山本彩さんのセカンドシングル『棘』(2019年9月4日発売・作詞作曲山本彩)。
この曲を聴いた時。
自己肯定感ゼロがちやった私自身を、肯定できたような気がしました。
山本彩さんはNMB48を卒業されて今はアイドルではありません。(このコラムで書くのも本当は迷ったのですが…愛が止まらないので書かせて頂きます)
でも山本彩さんはアイドル時代の自分を心から誇りにされている。すごくそう感じるんです。
私は「女流」という言葉がとても嫌いです。
深い意味も悪意もなく使ってる方もいらっしゃいますから、言葉狩りとも言えるかもしれません。ただ「女流」てなんなんでしょうか。
「女性なら女性らしさを活かして」
その「女性らしさ」ってなんなんでしょうか。繊細さ?柔らかさ?細やかさ?
私は短髪、男性着物、普段もユニセックスな出で立ちです。
男性に間違われるのは日常茶飯事。女性トイレ・女性風呂に入れば本気で怒られますし、女性専用車両に行けばガン見されます。
自分でもネタにしてるくらいなので傷ついたりはしません。(むしろ「ネタをくれておおきに!」です)
別に「女を捨てている」訳ではなく、自分の見せ方を考えた時にこのスタイルが一番しっくりきたんです。無理もしていないし、これが居心地が良い。
そもそも私は性別はただの「個性」としか考えていません。なんでもかんでも男or女でカテゴライズしようとする風潮にずっと昔から疑問を抱いてました。
しかし、私を【普通じゃない】と感じる方も少なくはないようです。
・古典落語は男性が演じるようにできてるから、登場人物を女性に置き換えたりとか工夫するべき。
・男と同じやり方で勝てるわけがない。
・そもそも古典落語は向かないから女性が出てくる新作をこしらえるべき。
・男着物、痛々しいからやめるべき。
・そのスタイルでやるなら、性別を隠すべき。
等、色んなご助言をいただきます。
どれも一理あります。素直には聞きますし、取り入れさせて頂く事もあります。
しかし、ひねくれた私には「女性噺家はみんな同じやり方をやりなさい」とたまに聞こえてしまうんです。
私の師匠をはじめ、師匠方が道を切り拓いてくださり、今や女性噺家はたくさんいらっしゃいます。
だから噺家に限らずですが、男性と同様に色んなタイプの女性がいるのは当然なこと。
噺家としてもまだまだ未熟な私が、こういうことを言うのは非常に生意気なのですが…
女性を武器にする噺家も、
創作をする噺家も、
古典落語を工夫して演じる噺家も、
私みたいなんもいていい。
それでええんちゃうのかなって思います。
世間から評価されるかはまた別問題ですが、それぞれの信念を持つ事は自由ですよね。誰からも否定される事はない。
師匠・露の都(日本で第一号の女性噺家)から優しく、時には厳しく「落語は人間性 」と何度も何度も教えて頂きました。理屈ではなく心でぶつかれとも。私は人間性にかなり難があるので今も肝に命じてます。
ある時、師匠が古典落語「立ち切れ線香」を高座にかけはったんです。特に台詞や設定を変えることなく。
『立ち切れ線香』は最後の若旦那の言葉に泣いたとよく聞きますが(私は実は苦手です)、師匠は若旦那よりも女将さんの言葉にとてつもない情がありました。いつもはサッと聞き流していた所の言葉が胸に刺さったんです。
同じ言葉でもその人の「心」で伝わり方は様々。師匠の弟子である事を改めて誇りに思った瞬間でした。
『立ち切れ線香』に限らず、師匠の落語は「女流噺家」の落語ではなく≪露の都≫の落語。私が師匠に入門したのはそこに強く惹かれたからです。
『棘』に話は戻りますが、この曲は私自身を肯定してくれ、尚且つ私が言えなかった気持ちも叫んでくれました。
山本彩さんの音楽・歌声には、師匠が強く教えてくださったような「人間性」を感じるんです。これが「山本彩」さんの音楽と。
お前の物差しなんぞ知らねぇ
作詞・作曲:山本彩、山本彩『棘』より歌詞引用
性別・年齢そんなものはオプションに過ぎない
それだけで全て測れた気になるのは愚か
作詞・作曲:山本彩、山本彩『棘』より歌詞引用
この曲すべてに「ありがとう」という思いです。
今でも私はへこたれるし、自分を否定しまくる日もあります。そんな時にこの曲に背中を押してもらってます。私も少しずつ、偽らない自分を出していけたら。
そしていつかこれが「露の眞」の落語と、誰かの心に届く日がきたら良いなぁ。今日も精進です。