芸人は酒が飲めてナンボ。それは本当のことでしょうか。今回の桂米左師匠の思い出コラムを拝読する限り、本当なのかも知れませんね。ほんと、よう飲まはる……。
お酒と落語家の付き合い方が垣間見られる思い出コラムです。桂米左師匠が米朝師匠に言ってしまったアチャーな一言にも注目です。お楽しみください。
師匠とお酒
噺家とお酒というのは切っても切れない関係ではないかと、かくいう米左も毎日楽しく飲ませてもらってます。
上方落語界でお酒というと即「笑福亭」という答えが返ってくるのが当たり前という感があります。亡くなられた笑福亭松鶴師匠が豪快なお酒の飲み方をされていたので、やはりそのイメージが強いのか「酒=笑福亭」となるのでしょう。
ですが我が米朝一門が寄りますと、一番酒が強い一門はウチの一門ではないかという話になります。・・・しょーもない自慢・・・。
松鶴師匠は家ではお飲みにならなかったと聞いております。
ウチの御大米朝は家でも飲んでました。ホントによく飲みます。それに伴い弟子達もホントによく飲みます。米左もそれに連なっておりました。
一門が寄って飲む機会というのは大きく二つ、お正月と事始め。事始めは12月13日、この日からお正月の準備(事)を始めるので事始め。ならなぜ13日かと言うとお琴の糸が13本で事と琴をかけているとの事。ある年の事始めで師匠が説明してくれはりました。
この日とお正月は師匠の家で朝から晩までホントによく飲みました。師匠もずっと座って飲んではりました。
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次に寄って飲むのは夏と暮れのご挨拶に伺った時。これも師匠は待ってましたとばかりに飲みはります。
次に飲むのは弟子に電話して呼んで家で飲むという。これが一番多いですね。・・・ホントに家で飲むのが好きな方でした。
弟子何人かに電話したら必ず誰かつかまります。電話をした弟子皆が仕事がある訳やないですから誰かつかまります。
だいたい夕方6時頃から飲み始め終電間際までですね・・・。
終電が近くなると「師匠、ボチボチ終電が」「あぁまだ大丈夫やさかい」「師匠、もう行かんと終電が」「あぁ、車呼んだるさかい」「師匠、もう2時回って・・・」「ハハ、もう車呼んでも来んわ」てな楽しい一時もありました。
また誘いの電話があるのはたいがい朝の10時頃。「あぁ、ワシやけどな。今晩お前はんどうしてる?」今晩どうしてるって私は友達やないねんから・・・「空いてます」「ほなまァ夕方に」と言うのがパターンでしたが、歳を取る毎に10時の電話がだんだん早くなり、9時30分が9時に、9時が8時30分に。最高記録が5時30分というのがありました。
朝5時30分に「今晩どうしてる」って・・・。寝ぼけた声で「ハイ、あ、あいてます」「ほな夕方いつもくらいの時間に」
師匠は寝るのが下手な方で多分その頃まで寝られず起きてはったんやと思います。夜が明けてもうええやろというんで電話しはったんやろと思います。師匠も気を使ってはったんやろうと思います。
師匠はそれから寝はりますがこっちはそれで起こされて本調子ではなく師匠の下へ。
飲んでいると朝早かったのでいつもより早く酔ってしまい、師匠が「これくらいの酒で相手できんようになるくらい酔いやがって、帰れ」てな、自分が呼んでおきながらこんな嬉しい言葉を頂き、こっちも酔っていたので「帰りますわ」てな事で帰ることに。
師匠はやさしいですね。「おい、酔うてるから車呼んだれ」車が来て帰ろうとした時、玄関で私は一言だけ言うて帰りました。大した事やないです、ほんささいな事です。一言だけです。
「去んだらァ、くそジジィ」
と、大した事ない、一言だけです。
その後ですか・・・ハイ・・・今これを書いてるので無事やったみたいです。
師匠はやさしい!