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⑮年季が明ければ・・・~師匠五代目桂文枝と歩んだ道:桂枝女太

桂枝女太

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晴れて自由の身になる年季明け。とても嬉しいもののはずなのに、桂枝女太師匠はいつ年季明けしたのかが分からなかったそうです。思い起こせば高校三年生のお正月にフェードイン入門、そして年季明けはフェードアウト。こんなこともあるんですね。

さて今回は、桂枝女太師匠の年季明け後の悩みについて。これは多くの芸人さんが共感するのではないでしょうか。お楽しみください!

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年季が明ければ・・・

落語家の弟子にとって年季明けは最大の喜び。これで自由になれる、肉体的にも、精神的にも。

しかし、年季明けのとたんに別の大きな苦労がやってくる。経済的な苦労だ。通常弟子の期間中は給料や手当てなどは一切ない。

そのかわり月謝もいらないから、それでよしというわけにはいかない。修行期間中であろうとメシも食えば住むところもいるし服も着る。衣食住にはお金がかかる。

修行期間中の生活はどうしているのか。

これは師匠によっても違うしまた、弟子個人の家庭の事情によっても違ってくるのだが、実家から通う、親からの仕送りに頼る、アルバイトをしてなんとかする。だいたいこの3つのパターンのどれかだ。

実家から通ういわゆる通い弟子の場合は住むところの心配はないし、家へ帰れば食べる物もなんとかなるだろう。これは結構恵まれたパターン。

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実家が遠方で通えない場合は師匠の家の近所にアパートを借りて、ということになるが、親からの仕送りが期待できる場合は通い弟子同様かなり恵まれたパターン。

それが期待できない場合はアルバイトをしてということになる。弟子としての仕事に支障がないように早朝のアルバイト、以前はビルの清掃などが多かった。最近はコンビニなども多いという。

世間の皆さんは落語家の修行というと師匠の家に住み込んでの内弟子(うちでし)、と思っている人が多いと思うが、私が入門した頃、今から40年以上前でも、この内弟子というのは多くはなかった。

戦後の高度経済成長期以降、生活習慣が変化し、落語家の奥さんといえども他人が家庭に入ってくるのを嫌がったから、だそうだ。当然といえば当然ですね。

私は・・・かなり恵まれた環境にあったと思う。

うちの一門は早くから内弟子ではなく通い弟子になっていた。

家から通う者、近所にアパートを借りる者、どちらもいたが私は両方を経験した。アパート住まいのときの家賃も、親が大学に行かせていると思ってと出してくれていた。だからアルバイトの経験はせずにすんだ。

これはありがたかった。

それでも余裕があったわけではない。家賃、光熱費、衣服代、食費、それにたまの休みに遊びに行くお金。全部を仕送りで賄えるわけはない。

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しかし修行中は食費だけはほとんどいらない。師匠についているかぎり、師匠が出してくれる。朝は別だが昼も夜も師匠と一緒。これは大きい。

なんせ食べ盛り。気は詰まるが結構いい物も食べさせてもらえる。焼き肉を初めて食べたのも師匠に連れて行ってもらってだった。

今から40年以上前は焼き肉はあまり一般的ではなかった。焼き肉屋さんなどはキタやミナミの繁華街にあることはあったが、それもごく少数だった。一般家庭の、それも子供が連れて行ってもらえるようなところではなかったのだ。

私は金銭的にはまあまあの家庭で育ったがお金の問題ではなく、一般の婦女子が行けるような店ではなかったということ。今のようにファミリーで焼き肉なんてことは考えられなかった。肉を食べるというとすき焼きかステーキ(当時はビフテキと呼んでいた)ぐらい。

ちなみにビフテキというのはビーフステーキの略です。今はここから説明しないとわからない人も多い。

だいたい肉は網で焼くのではなく、フライパンか鉄板で焼くものと思っていた。

ついでに言うと現在では最高に旨いとされている特上のロース、あの舌の上で溶けてしまうような肉、あんなものはその頃は最低の肉だと思っていた。肉というよりただの脂身。多少歯ごたえのあるのがいい肉だと思っていた。

今でもうちの肉はそういう肉です。うちで食べている肉、薄いけど硬いで。

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そんな贅沢なものを食べることができるのも年季中だけ。年季が明けると、滅多にそういうものにお目にかからなくなる。

なんせ収入がない。年季が明けたからといってすぐに仕事が増えるわけではない。ほとんどが休みの毎日。アルバイトに精を出せるといえば出せるが、そっちが本業になってしまっても困る。

ではどうするか。

先輩たちに覚えてもらうため、出番がなくても落語会に顔を出す。行く以上は早めに行って会場の設営の準備を手伝ったり、先輩たちの着替えを手伝ったり。そして先輩の舞台を見せてもらって勉強する。

落語会のあとはたいがい打ち上げがある。その席に呼んでもらっていろんな話を聞くのもまた勉強になる。

そしてお腹も満たされる。

いくら若手で仕事がなくても餓死した落語家がいないのはこうした美しい習慣があるからなのです。

打ち上げに呼ぶ立場の今となってはこの習慣、美しくもなんともないが・・・。

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