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⑭年季明け~師匠五代目桂文枝と歩んだ道:桂枝女太

桂枝女太

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寄席芸人にとって「年季明け」は、とても嬉しいもの。晴れて無罪放免、自由に活動できるようになります。東京では二つ目昇進が、年季明けにあたるでしょう。

桂枝女太師匠も同じく年季明けを喜んだはず……、と思いきや!?喜ぶも喜ばないもない状況に。その理由は……。桂枝女太師匠の思い出コラム、第14回目です。お楽しみください!

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年季明け

年季明け。

それは弟子にとって一番嬉しい瞬間。それはそうだろう。

一門によっても違うが通常落語家の年季、つまりカバン持ちとして師匠に毎日付いている期間はだいたい3年間。落語の勉強はもちろんだが師匠の付き人がほとんどの毎日。

自由は・・・まったくない。

厳密にいうと一日中師匠のそばにいるわけでもないし、自由に過ごせる時間がないわけではないのだが、精神的に自由がまったくない。これが一番きつい。

自分なりの計画というものが立てられない。

どんな仕事についても休みというものは必ずある。弟子も休みの日はあるのだが、それがいつかわからない。

師匠の仕事のない日はわかっている。師匠のスケジュールを弟子は完璧に把握しているからだ。

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師匠の仕事がないからといって、その日が弟子も休みとは限らない。たいていはなにもなくても師匠の家にいる。

たまに丸々休みの日もあるのだが、前日に急に言われたりする。

「明日はなんにもないから、来んでもええで」

やった!とは思うが、急にそんなこと言われても・・・。友達と遊びに、と思っても今日の明日では友達にも都合があるだろうし。結局ブラブラしているかパチンコにでも行ってるか。

念のためだが、修行期間中にパチンコなどはご法度。

ちなみに修業期間中はやってはいけないこと、禁止事項がいくつかある。飲酒、喫煙、ギャンブル、異性交遊。もちろん師匠によっても違うのだが、たいていはこんなところだ。

私の場合は・・・全部やった。

別に自慢するわけでもないし、ええかっこするわけでもないが、全部やった。本当に自慢でもええかっこでもない。当時の弟子っ子(今でもそうかも知れないが)ほぼ全員やってます。

それはそうでしょう、みんなやっているから禁止されるわけで、誰もやらないのならはじめから禁止事項にはなりません。

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とにかく修業期間中はすべてにおいて師匠の都合次第。当然と言えば当然だが、これが精神的には本当にきつい。一日も早く年季が明けること。これが弟子の最大かつ唯一ののぞみ。

年季明け。

その言葉は地獄から抜け出すための一本の蜘蛛の糸のようなもの。

年季明けとは学校で言う卒業式みたいなもの。

これは一門よっても違うが、それなりの儀式のようなものをする一門もある。中には年季明けの祝いとして師匠から黒紋付をプレゼントされる一門もあると聞く。

しかし・・・うちの一門はそんな話を聞いたことがない。

はたして私の年季明けのときはどのような儀式が、またプレゼントがあるのだろうか。

丸3年が近づいてくると、いつ年季明けの話が出るか、もう頭の中はそのことばかり。普通は・・・。

しかし私の場合は普通ではなかった。

前回書いたように修業期間中からテレビの帯番組のレギュラーがあり、ほとんど師匠に付けなくなっていた。それでも土日はかならず付いていたし、平日もできるかぎり番組終わりで師匠の仕事先へ行くようにしていた。

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しかしそれもだんだんと間隔が開いていき、そのうち週に一度、月に二度という状態になっていった。

そしていつのまにか3年間が過ぎていた。

それでも年季明けの話はなかった。

実質師匠に付いていないのだから、師匠もことさら言うこともないと思っていたのか、言う気にもならなかったのかはわからないが、いつのまにか、本当にいつのまにかという感じで年季が明けていた。

もちろん儀式やプレゼントも無かった。

いや、師匠に年季明けの言葉をもらっていないので、厳密にいうと未だに年季が明けていないのか???

入門のときも、弟子にしてくださいと言ったことがなかった私だが、年季明けのときも師匠に言われずにいつのまにか明けていた。

フェードイン入門のフェードアウト年季明け。

落語家の弟子にとって年季明けは最大の喜びなのだが、その後に待ち構えているのは最大の苦労。

このあたりのことはまた次回に。

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