笑福亭里光師匠が入門して最初に師匠である笑福亭鶴光師匠につけていただいたのが『寿限無』だったのだそう。しかし、現在笑福亭里光師匠は『寿限無』を滅多に高座でかけないとのこと。その理由は……。
最上級を知るからこそ生じる恐怖感。今回はこちらについてつづっていただきました。笑福亭里光師匠の生真面目な性格がうかがえる一本です。
寿限無への恐怖
こんにちは。笑福亭里光です。
初めての稽古で大爆笑してしまった僕は、改めて落語というものは演者の力で変わっていくものだということを認識しました。
ショックでもありました。
正直『寿限無』を馬鹿にしていましたし、こんな噺は誰がやろうが大して変わらないと思ってもいましたから。
前にも書きましたけど、こういう単純な噺が一番難しい。複雑な噺は覚えるのには苦労しますが、普通にやれば「そこそこ」にはなる。
でも単純な噺は「そこそこ」にもならない。
そういえばある先輩が真打ち披露興行の時に『転失気』という、いわゆる「前座噺」をトリでやって、あるお客様からかなり批判されたことがありました。
でもそれは違う。
僕もその場(あれは浅草演芸ホールでした)にいたんですが、客席は大爆笑。それで良いと思うんですよ。ネタの大小ではない。その場では受け入れられたんですから。少なくとも、その時はそれで正解。
そりゃ全員が爆笑ではなかったと思いますよ。全員がその芸人のファンとは限りませんから。寄席みたいに多くの芸人が出演する会は特に。もちろんアンチもいる。
でもまあ「客席が沸いてるなぁ」と思われる時は、7割方の人が笑ってる。それで成功ですよ。客席の10割が笑ってるなんてことはあり得ない。
その(笑わない)3割の人に批判される・・ツラい商売です。まぁもっともな批判もあるんですけどね。これもまたツラい(笑)。
すいません、つい愚痴が出てしまいました。話を元に戻しましょう。
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『寿限無』でショックを受けてしまった僕は、逆に『寿限無』が怖くなってしまったんです。
最初のうちはやりましたよ。それしか出来ないんですから。
でも次の噺を覚えてからは、滅多にやらなくなりました。
怖いんですよ。
ウケるとかウケないとかではなく。ウケないんですが(笑)。
ただただ怖いのです!
今でも鮮明に覚えてるんですが、まだ前座だった頃に伊豆の下田で今の円楽師匠(当時は楽太郎)と鶴光の二人会があったんです。
弟子が一人ずつ出してもらえた。
円楽師匠のところは、愛楽師匠でした。当時は二ツ目かしら。
『寿限無』だったんです。
師匠の着替えを手伝いながら「え!?」と思いましたね。
僕なら絶対(『寿限無』は)選択しない。でも客席は大爆笑。
師匠に言われました。
「見てみ、あんなにウケとる。あれやなかったらアカンねん!」
ますます怖くなりました。