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㉑お正月~師匠桂米朝と過ごした日々:桂米左

桂米左

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松の内も明け、街の雰囲気もお正月ムードが薄れてきました。祭りの後のような一抹の寂しさを感じるこの時期に、桂米左師匠がかつてのお正月の過ごし方をつづってくださいました。ワーワーと賑やかなお正月だったそうですよ。

あのころは当たり前だったことが、過ぎてしまった今とても大切な宝物だったと気付く。同じようなことは、あなたにもないでしょうか?桂米左師匠の思い出から、あなたのあのころを思い出してみてください。

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お正月

噺家のお正月は朝から晩まで飲みながら一門でワーワーと本当に楽しい。

米朝一門の場合は朝11時に師匠宅に集まりまず師匠に新年のご挨拶。

直弟子は11時だが孫弟子となるとそうはいかない。先ず自分の師匠の所に挨拶に行き、それから揃って米朝の所に来るので孫弟子の正月の朝は早い…直弟子でよかった!

挨拶はそれぞれが言うと長くなるのでその席に居てる年功の一番上の者が言う、それを受けて師匠が一同に言ってそれから初詣。近所の歩いて7〜8分の小さな本殿だけの神社。

一門が黒紋付袴でゾロゾロと歩いている様は壮観。後ろから車で来る方はビックリする、何せ黒紋付袴の集団が歩いている、それもお正月に大勢が…よもや反社会的勢力の集団かと、車のスピードを落とし怖々とその集団を抜かすと拍子抜けする。その筋の集団と思いきや、間抜けヅラが歩いているのでホッとして通り過ぎる。

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初詣が済むといよいよ正月の宴会。師匠が一番上座で皆が見える席、いわゆるお誕生日席に座り以下直弟子孫弟子関係なく入門順に座る。そして師匠からお年玉を頂く。

お年玉の額は内弟子の時、年季が明けてから、所帯を持ってからと違ってくる。

弟子、孫弟子、またその家族、米朝事務所の社員、またお正月にお越しになる方々…多くの方にお年玉を渡しはります。莫大な金額です。

孫弟子なんか得です、自分の師匠からと米朝からももらえる…孫弟子の方がよかった…。

大晦日に奥さんのお使いでお年玉用の新札を銀行に引出しに行くのを忘れた事がありまして…すごく怒られました。

時間は3時を回っていてもう銀行は閉まっているどうしょうも出来ない。(TдT)

その時、奥さんが銀行に電話したら銀行の方が必要な数の新札を持って来てくれはりました…さすが武庫之荘の名士。

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お正月で一番大変なんは奥さんです。一週間ほど前からざっと百人前のお節料理の用意。いつ寝てはるのか判らんくらいずっと作ってはります。

私が内弟子の時は弟子だけでなくその家族も来てましたので賑やかでした。兄弟子の子供達はまだ小さくて家の中走り回ったり階段から落ちて泣いてる子がいたり…。

それだけの人数が集まりますので食器の量も半端やない。皿やコップを出してはひいてきて洗い、洗っては出し、内弟子は洗い物の山と戦っておりました。

師匠はずっと座って飲んではり皆の話を聞いて笑ったり…けど最後はやっぱり芸の話。

そんな正月風景も年と共に変わり弟子だけが集まり、師匠と奥さんが高齢になると家に集まるのもなくなり、サンケイホールで師匠に会うだけになり、それもなくなり現在に…。

あの頃の楽しかったお正月、噺家らしいお正月が懐かしい。

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