ラジオパーソナリティーの面ばかりクローズアップされがちな笑福亭鶴光師匠。しかし、落語家として人一倍努力を重ねておられているのは、あまり知られていません。陰で努力を重ねておられるからこそ、華やかで心躍る高座が作り上げれるのでしょう。
外からではうかがい知れない師弟関係についても、今回は言及されておられます。笑福亭鶴光師匠を深く理解されたい方には、必読の回です。お楽しみください!
信頼関係
ある人から言われました。
「噺家は邦楽を身につけないと一流には成れないぞ」
何でも人の言葉に感化される鶴光は、よし先ず日本舞踊から習おうと紹介されて西川流に入門。
「奴さん」「かっぽれ」「深川」と習い、其れでは飽き足らず、大日方満劇団や浪花三之介劇団その他。
土日に泊りがけでお芝居と踊りを教えて頂きました。あの方達はCDを聞いて、自分たちで即興で振り付けをする。芝居のセリフも台本無しの口立(くちだて)稽古。
赤ちゃんの頃から舞台に立つ旅から、旅への渡り鳥。
気が付けばいつの間にか老いてると言う寂しさも有るが、若い時は札束がガッポガッポ。バブルの時は凄かった。私もおこばれを随分頂戴いたしました。
一度座長大会で東十条の劇場で綺麗に化粧してもらって出番を待ってると、同じく大衆演劇の座長が私に
「失礼ですが、どちらの座長様ですか?」
私笑いながら
「鶴光でおま」
その座長、その場でこけてました。
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三味線は長唄の先生所へ行き、両方習いました。落語に『軒付け』と言うのがありまして、三味線を弾く仕草が有る。これをやりたくて教えを請いに行きました。
その後は篠笛。この習い事は、月謝だけでは済まない。
踊りの発表会に長唄の浴衣会、笛のおさらい会。我々は出演すればギャラが貰えるが、反対に出さないかん。不思議な社会です。だから邦楽は金持ちを沢山弟子に持つのが繁栄の道。
ここは落語の世界とはまったく違う所。
いわゆる弟子はお客様です。落語の場合は親子関係ですから、弟子からはお金を取らない。飯食べさして、芸を無料で教えて名誉は良い弟子を育てたと言われる事だけ。
慈善事業やがな。
今弟子が東京には六人、大阪に一人。上方落語の真打を二人育て、私も上方真打と言う落語界只一人の称号も頂きました。
上方と江戸の壁を少々ぶち抜いて風通しも大分良くなりました。
後輩の東京の噺家も協力してくれ、又お席亭のご支援で各寄席に上方枠言うのが出来て、上方落語家がドンドン出れるように成りました。
勿論東京の噺家も大阪の落語の寄席に出れる。相乗効果お互いに競争心を持って、落語の発展に微力ながら協力して行きたい。
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ここまで来るには、20年以上掛かりました。思ったほど簡単な道筋では無かったけど、狭い楽屋の中でヒソヒソトと馬鹿話に付き合い、居酒屋で2時間飲み放題で語り合い、同じ物を食べて安酒飲んで、お互いの落語会に出演し、一緒に旅をし、泣いたり笑ったり信頼関係を築きあげた結果が今日に繋がった。
これがタレントとして、皆と上辺だけの付き合いをしてたならこういう風にはならなかったやろな。
六代目松鶴の壮大な夢を、弟子の私が徐々にコツコツ一歩ずつ積み上げてる真っ最中。
どうか応援よろしくお願いい致します。
東京の仲間と、こんな事も有りました。
地方公演でお年寄りの前でやった時誰も笑わない。何を言ってもシ~ン。大阪弁が判らないのかなと自分で納得して関係者の方に
「一生懸命やったんですが、力不足ですんまへんでした」と頭を下げると
「いやぁ半分は高齢者で笑う元気がないんですよ」
「じゃあ後の半分は」
「耳が遠いんですよ」
これもある村での落語会。私がしゃべってると前で前座が不安そうな顔でこちらをチラチラあまり気に成るので高座から
「どうかしたのと聞くと」
「マイクの電池が切れてます」
私が行くので失敗したらいかんと言うので早くから何辺もマイクテストをやり過ぎたそうです。
地方の人は親切、でも今回は仇(あだ)と成りました。
成程芸人に下手も上手もなかりけり行く先々の水に合わねばでんな。