六代目笑福亭松鶴師匠と仲が良かった三代目桂春団治師匠。六代目笑福亭松鶴師匠のお弟子さんである笑福亭鶴光師匠は、三代目桂春団治師匠に大変可愛がってもらったそうで。その時にうかがった話をつづっていただきました。
あの美しい三代目師匠に酷いことをした人もいたそうですよ。笑福亭鶴光師匠の思い出、じっくりお読みください!
三代目桂春団治師匠
ここで三代目春団治師匠のエピソードを。
松鶴と兄弟分と言うので、一門を超えて良く可愛がって貰いました。
三代目がカラオケで唄うのは『浪花しぐれ桂春団治」(唄:京山幸枝若)です。『浪花恋しぐれ』は唄わなかったんです。
それもそのはず。
♫今日も呼んでるど阿保春団治♫
「誰がど阿保やね」といつもぼやいてました。
そういえば、こんなこともありました。
エレベーターの中で「うあぁ、師匠大ファンです」と男の人に抱きつかれて喜んでいると、後で気が付いたら、財布を盗まれてた。
このスリ、二重にあかんね。三代目の心をもてあそんだ。
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羽織の脱ぎ方が綺麗と評判の三代目。東京に来た時に、うっかり羽織の紐を忘れて来たことがありました。
そこで漫才の内海桂子・好江ご両人の好江さんが、金のネックレスで紐代わりに結んでくれた。そのまま高座へいつもの癖で羽織を脱ごうとしたが、脱げずに四苦八苦してはりました。あせったやろなぁ。
三代目春団治の襲名が決まった時に、米朝師匠が春団治師匠(当時・福団治)言ったそうです。
「もっとネタを増やさないかん。稽古したろか」
カチンときたのか後の三代目、飲んだ勢いで
「必要ない」
と啖呵を切った。
明くる日酔いが醒めて反省したのか、そのまま武庫之荘の米朝師匠の自宅へ。一升瓶土産に持って訪ねて行くと、まだ米朝師匠は睡眠中。
そこで何をしたかと言うと、寝てる枕元に座って起きるのをずっと待ってた。
目を覚ました米朝師匠、驚いたなんのって。
「な、何や君?!」
「稽古頼むわ」
そのネタは生涯春団治の十八番となったそうです。
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米朝師匠は40歳までマスコミに出てましたが、その後落語の方に力を入れて、名人と言われるまでに成られました。
この潔さは中々真似が出来ない。どうしても未練たらしくダラダラ続けて自分を見失ってしまう。
ホール落語と言う形式を確立したのは米朝師匠。今でも弟子に受け継がれて居ります。
上方落語家で、日本全国どこでも受け入れられた、わかりやすい大阪弁で噺をするのが上手かった。
松鶴はコテコテの関西弁、受け入れられない場所も多々あった。
これも自分の流儀と個性優劣つけがたい。
