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入門やあ~落語とプロレス:笑福亭仁嬌

笑福亭仁嬌

プロレスを愛して50余年の笑福亭仁嬌師匠。落語家になっては44年です。リングと座布団という四角いジャングルで戦うのは、同じではないでしょうか。

今回は四角いジャングルの一つ「座布団」の上に乗るまでの経緯を、笑福亭仁嬌師匠につづっていただきました。さて、44年前に何があったのでしょうか?今回はゴングでなく出囃子を頭の中で響かせながらお読みください。

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入門やあ

今回は落語についての話でお付き合いいただきたい。

落語家になるには、ご存知のように誰か落語家に弟子入りしなければならない。プロ野球はドラフト制度がありアマチュア選手を高い契約金を支払い入団させるし、大相撲は体の大きい相撲に向いている少年青年がいると親方が自らスカウトに行き自分の部屋に入門させようとする。

落語はそうはいかない、なんぼ落語が上手くても面白くても師匠から「うちの一門に入ってちょうだい」てなことは絶対に無い。

落語家になりたい者が頼み込み、お願いして入門するのである。

わたいの場合は暇がかかったなあ。

高校に入学し落語研究会を作り学校でちょいちょい落語をしていた。そんなこともあり高校3年の秋に落語家のなろうと思い笑福亭仁鶴師匠の弟子になることを決めた。

知らないところで勝手に決められた師匠は災難である。

しかしどうして弟子入りすればいいのか分からない。とりあえず会って入門をお願いするしか方法は無い。会うにもどこに行けばいいのか、そうや吉本に電話して聞いてみよと京都の少年は考えた。

「すいません。ファンの者ですが仁鶴さんのスケジュール教えてください。」

女性社員が答えてくれた「教えられません。」ガチャン。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

どうしようかと悩んでいると当時の京都花月に師匠が二日間だけ出演されることが新聞で分かり、その日は学校を休みおかんが作った弁当を持ち昼夜の舞台を連続で観た。昔は一日中いられたのである。

二回目の師匠の舞台を観てすぐ裏の楽屋口で待っていると、師匠が一人で出てこられた。ここやと思いきって

「すいません。弟子にしてください。」とストレートに言った。

「うちはもう弟子はとらないから、誰か他の師匠のところに行きなさい。」

「いえ是非師匠の弟子になりたいんです。お願いします。」

「君いくつや。」

「18です。」

「車の免許持ってるか。」

「いえバイクの免許は持ってますが、車の免許は持ってません。」

「それやったら車の免許を取ってからおいで。」

「はい分かりました。」

とそんな初対面であった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

そうか落語家になるには車の免許がいるのかと思い、自動車教習所に通ったがなんじゃかんじゃで免許を手にした時はもう高校を卒業していた。卒業時に進路が決まってなかったのはわたいともう一人の二人だけであった。

さあ今度は免許を取ったことを師匠に言わないかん。調べると梅田花月に出演されると分かり京都から行ったが、なんせ初めての大都会梅田、迷い倒して花月に到着した。入場料を払い入り今度は思い切って楽屋口の戸を開けた。

芸人の世話をするお茶子のお姉さんが、電話番をしながら出入りする者をチェックしていた。わたいにしたら関所の番人である。

「あんたなに?」

「仁鶴師匠に入門をお願いしている者です。」

「えー仁鶴師匠、会うてくれはるかなあ。」と言うてるところに師匠が地下の楽屋から階段を上がってこられた。ここやと思い

「以前に京都で弟子入りをお願いした者ですが、車の免許取ってきました」

師匠は覚えて頂いてたようで

「おう君か、免許取ってきたか、ちょと終わるまで待っとき。」

舞台を終えた師匠と楽屋口を出たとこで

「明日から10日間毎日来なさい」

「分かりました」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

当時は10日間の出番であった。毎日通いただ挨拶をするだけであったが10日目の楽日も挨拶をすると

「君は落語できるか」

「はい落研やってましたので4本覚えてます。」

「何を覚えた?」

「延陽伯と初天神と色事根問と向こう付けです。」

「ほな延陽伯を彼に聞かせなさい。」

当時師匠の付き人をしていた仁扇兄さんである。梅田花月のロビーで延陽伯をやり始めたが途中で忘れ初天神をやった。

しかし何とか大丈夫のようで、後日親を連れて家に来なさいと弟子入りを許され、正式入門日は1977年昭和52年4月1日となったのである。

あれから早44年。

現在に至る。

え?話が飛びすぎ、そらそうでんなあ。

ほな続きはまたの機会に。