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【祝!還暦】笑福亭伯枝にインタビュー!泉北ニュータウンの発展と共にある「和泉ワンコイン寄席」について

ふじかわ陽子

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六代目笑福亭松鶴師匠譲りの豪快な高座が特徴の笑福亭伯枝師匠。この陰では、舞台背景の裏どりをキッチリされておられ、この繊細な作業により落語をグッと魅力的に。お客さんはいつもニコニコの笑顔です。

お若いころはタバコをくゆらせながら、深夜まで何軒もはしご酒。筆者もご同伴させていただいた思い出があります。それが50代になられてからは、大病を患われたこともあり封印。とても健康的な生活を送られているとか。

今回は笑福亭伯枝師匠が中心となり開催されている「和泉ワンコイン寄席」の話題を中心に、様々なことをうかがいました。お楽しみください!

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今年の8月で200回を迎える和泉ワンコイン寄席

――今年、還暦だそうで。おめでとうございます!

せやで。4月22日で60歳や。

――あまり変わられないですよね。むしろ今の方が顔色が良いような印象を受けます。

今日も自転車でここまで(※繁昌亭近く)来てん。家から30分ぐらいやし。

――めっちゃ健康的やないですか。私が初めてお会いした40歳の時とは大違い。びっくり。深夜まで深酒をしてタクシーで帰宅してはった印象が大きい。

もう悪いことはせぇへんことに決めてん。

――えー。なんか置いて行かれた気分です……。私の伯枝師匠のイメージで大きいのは深酒と、「和泉ワンコイン寄席」なんです。4月で196回になるんですね。すごい!もう17年続いている。

そうか、もう17年か。始まったのが11月やったんは覚えてます。去年はコロナで4回お休みして、今年の2月と3月を2回公演にしたんです。緊急事態宣言が明けたあとは空席もありましたが、おかげさまで今月も完売御礼です。

――500円で落語を3席楽しめるなんて、リーズナブルですもんね。私が勉強にうかがわせていただいた15年ほど前は和室が会場でしたが、今もそうですか?

今はソーシャルディスタンスが取りやすい学習室で椅子席になっています。以前会場として使っていた和室は、楽屋になったんや。

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最初は笑福亭福輔さんからのお誘い

――コロナの影響が、そういうところにも。でも、楽屋が広くなったのは良かったんかも。この「和泉ワンコイン寄席」は、第1回から伯枝師匠が出番を割っておられたのでしょうか?

最初、今はもう辞めた笑福亭福輔さんが声をかけてくれたんです。一緒にやってほしいと。彼はモーターレース関連の仕事が多く、落語家の知り合いが少なく持ちネタも少なかった。せやから、心やすい俺に声をかけてくれたんやろね。

――福輔さんは何回目までご出演されていたんでしょうか?

出演は70回ぐらいまで、年2回ほどかな。6回か7回目ぐらいで、「もう知り合いがいないから出番を割れません」となって、続いて「もうネタがありません」と。徐々にフェードアウトして、いつの間にか俺が出番を割るように。

――毎月となると、特にネタが大変ですよね……。伯枝師匠も大変だったのではないでしょうか?

大変やけど、やりがいのある寄席です。ネタおろしは、必ず「和泉ワンコイン寄席」で行っているんです。

――「和泉ワンコイン寄席」ではウケて、他ではウケなかったネタもありますか?

キミは今、俺の心をえぐる質問したで(笑)。あるなぁ。「和泉ワンコイン寄席」のお客さんは温かい人ばかりやから、イケると思うてヨソでもかけたらダダ滑り。いくつかそういうネタはあるな。

――具体的には?

教えない。

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師匠・六代目笑福亭松鶴師匠との思い出

――六代目笑福亭松鶴師匠との思い出のネタをかけられたことも?

実は俺、おやっさんにネタをつけてもろたことないねん。兄弟子の一人が稽古に行ったり行かなかったりしたんで、「もう弟子に稽古はつけない」と。基礎ネタの『東の旅の発端』でこれをやったみたいですから、おやっさんが機嫌を損ねるのは当然やな。それからは、「芸は盗むものや」と言うてはりました。上の方には付きっ切りで稽古しとったのに……。

――残念ですね……。六代目師匠は「なまり」にとても厳しかったとうかがっていますが、伯枝師匠は大阪市生まれ育ち。だいぶ有利だったのではないでしょうか?

よう直してもろたで。大阪生まれといっても、テレビの影響がだいぶあると思います。昔の言葉はほとんどテレビでは使われません。今の「大阪弁」はだいぶイントネーションがきついんや。うちのおやっさんやったら、もっと平坦に言うやろなという言葉が多い。

――昔の船場言葉が、落語など古典芸能の世界でしか聞けないのは残念ですね。

いや、落語もどうやろ。今は皆、イントネーションまで気を遣ってやってへんのとちゃうかな。うちのおやっさんが「なまり」に厳しかったのは、実は米朝師匠の影響なんです。米朝師匠は姫路生まれで、おやっさんは大阪生まれ。「わしはほんまもんの大阪を知ってる」と、まあ対抗意識やな。

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泉北ニュータウンの発展と共にある「和泉ワンコイン寄席」

――「なまり」に厳しい方といえば、私は亡くなられた笑福亭鶴志師匠を思い出します。私は広島生まれでなまりがきつかったため、文楽のテープを聞いて直したら良いよとアドバイスをいただきました。

鶴志兄にも「和泉ワンコイン寄席」には出てもうたなぁ。俺がどうしてもアカン時があってお願いしたら、快く引き受けてくださいました。

――他にも思い出に残る出演者はおられますか?

年に1回、講談の旭堂南鱗兄さんに出ていただいただいています。あと思い出というか、林家染八くんが乗り換えを間違えて、高野山まで行ったことがあったな。そんで、アイツがトリになったことも。

――いつか誰かやりそうだと思っていましたが、染八さんが……。最寄り駅が泉北高速鉄道の和泉中央駅だから、乗り換えを間違えると大変。周りに何もないし。

それはキミが知ってる泉北ニュータウンや。今は活気のある街やで。

――そうなんですか?

せやで。どんどん発展していって、今はなんでもある街やねん。若者も多いし、街が全体が元気や。「和泉ワンコイン寄席」は泉北ニュータウンと一緒に発展していった寄席やね。

――じゃあ、これからも泉北ニュータウンの発展と共に「和泉ワンコイン寄席」もぐんぐん上向きに!

そうなるよう、頑張ります。早うコロナがおさまって、またふらりとお越しいただけるようになったらええなぁ。

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和泉シティプラザ生涯学習センターでお待ちしています!

今回はじっくり笑福亭伯枝師匠にお話をうかがいました。大病から復活をされ、還暦を迎えても精力的に活動をされる笑福亭伯枝師匠に、とても大きな元気をいただいた気分です。

笑福亭伯枝師匠がご出演される「和泉ワンコイン寄席」は、毎月第3土曜日に開催しています。チケットがとても取りにくい寄席になっていますので、和泉シティプラザ生涯学習センターのHPをチェックしてくださいね。

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