« »
広告

④ラジオの夜~東海道島田宿からお江戸へ:三遊亭遊喜

三遊亭遊喜

▲お問い合わせはこちらから▲

▲猫好きの、猫好きによる、猫のための落語会▲

校内暴力全盛期の昭和60年、三遊亭遊喜師匠は中学生になります。校内暴力のピークは過ぎつつあるものの、それでも竹刀を持った生活指導の教師がピリピリしながら過ごしていた時期です。

特に不良でもなかった中学生のころの三遊亭遊喜師匠は、抑圧されたこの時期をどう過ごされたのでしょうか?部活の剣道部だけでなく、あるものが三遊亭遊喜師匠の気持ちを和らげてくれていたようです。

同世代の方はもちろんのこと、そうでない方も共感できるかも?お楽しみください!

広告

ラジオの夜

静岡県島田市で普通一般家庭に育った私がなぜ落語家になったのかの謎を解き明かすため、前回は幼少の頃から小学校ぐらいまでを思い返してみました。

今回は中学生ぐらいからをたどってみます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

中学は地域の仲間がみんな通う島田第一中学校へ進みます。3つの小学校からこの中学校へ通ってきますので、学年で7クラスか8クラスありました。

当時はヤンチャな先輩がいっぱいいましたし校則なども厳しく体罰全盛で、今では考えられないくらい変な雰囲気でした。

朝と帰りに「校旗の掲揚と降納」という儀式があり、校歌が流れている間は校旗に向かって直立不動。少しでもしゃべったり動いたりしていると、生徒指導の先生が竹刀をもって駆けつけ一発バシッ!

これ普通の公立中学ですよ。

先生は先生で大変だったと思いますが、客観的にみたらこれってコントですよ、ドリフのコント。

いかりや長介が竹刀もって生徒役の志村と加藤を追っかけて、最後はいかりや長介が志村と加藤に竹刀で叩かれる。ついでに大きなたらいが落ちてくるというやつです。

ただ当時の学校では、生徒が生徒指導の先生を竹刀で叩いたら十倍返しされますから、そこまではできません。ある意味落ちのないコントですよ。

これからはコントのセンスがある生徒指導の教員を増やしたら、学校がより面白く変わるかもしれませんね。ただし、センスがあると思っている人ほど、本当はないかもしれませんが。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

当時の島一中あるあるですが、昼休みの校内放送で今日のガラス破損状況がアナウンスされるのです。

「何年何組の誰々がどこどこのガラスを割りました」「何年何組が何枚」「何年何組が何枚。今度から気を付けましょう」と。

ヤンチャな先輩がいましたから、確かに頻繁に校内のガラスは割れていましたが、それにもまして学校の建物自体が古く、当時の教室のガラスはすりガラスだったりするので何かの拍子で簡単に割れてしまうのです。私も何枚か割りましたよ。けして故意でなく遊んでいてですがね。

そんな校内放送は嘘だと思う人ばかりだと思いますが、これ本当です。建物の老朽化と学校全体がちょっと荒れているので、毎日どこかでガラスが割れている。

ガラス屋さんは儲かっていたかも?なんて、大人になるとそんなこと思ってしまいます。

私の学年はまだましな方だったと言われていたみたいですが、それでも授業中になぜか廊下の方から爆竹の音が聞こえたり、廊下を自転車で走っている先輩がいたり、バイクが校内で走っていたり……。

そのたびに生徒指導の先生が大きな声出して駆けつけて、大騒ぎ。

今考えたら、これもほぼコントですよ。壮大なコントです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

当時の私は別にヤンチャではないですけど、なぜか友達はヤンチャな先輩や同級生が多かったかもしれません。というか、みんなそこそこヤンチャだったのかもしれません。

でも正直なところ、爆竹だって河原でやればいいし、自転車やバイクは道路で走ればもっと自由でしょ!何も学校でやらなくてもと冷めてみていまいました。 

部活は剣道部で楽しかったですよ。ただ、一年の時の3年生でヤンチャな先輩がいて、その先輩の機嫌が悪い時は練習中よくしごかれました。

人って機嫌が悪いとこうなってしまうのだなと、その時冷静に学びました。今考えたらめちゃくちゃ冷めたクソガキだったかもしれません。

確かに体罰教師は多かったですがその分個性的な先生も多く、冷めながらも楽しんで過ごしていまし た。いい先生もいっぱいいましたね。

この年になるとお世話になった先生は、いいか悪いかわかりませんがありがたいことに結構飲み友達になってしまっています。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

中学時代はやっぱり何かと抑圧されていたのでしょう。

そんな時期に楽しみだったのがラジオです。

テレビが自分の部屋になかったということもあり、たぶんこのころからラジオをよく聴くようになったような気がします。家にいて暇な時はラジオを聞き、宿題しながらもラジオを聞いているという感じでした。

冷めたクソガキ中坊も、ラジオを聴いている時は熱かった。

あっ、これか!というかこれですかね。ラジオを聴くようになり、色んな事に興味がわき視野が広がっていったのでしょう。

深夜ラジオの沼へまっしぐらといった感じです。もう完全に沼です。沼ですが、謎を解き明かす光が見えてきました。

多感な時期だからこそ、色々吸収していたのだと思います。冷めたクソガキ中坊でも、その時期が思春期だったのだと改めて認識しました。

あんな事やこんな事、だいぶ思い出してきたところですが、この続きは次回へ。