3度目の緊急事態宣言発出により、東西の寄席は閉じてしまいました。緊急事態宣言が明ければ再開されるものの、落語家は危機感を日々募らせています。その危機感について、桂枝女太師匠につづっていただきました。
桂枝女太師匠の感じる危機を、読者であるあなたに知っていただければと思います。この危機を共有することで、新しい道が拓けると信じています。
落語の危機
この連載は師匠の思い出話や私自身の落語家としての軌跡のようなことを書き連ねてきたが、今回は少々趣を変えて現在の状況を書きたいと思います。いや、ことここに及んでは書かざるを得ないというか。当然ながら新型コロナの影響の話しです。
いま落語界、とくに上方落語界は大きな危機を迎えている。
現在地球上に生きている人間にとって初めて経験する地球規模での危機。パンデミックという言葉は映画か小説の中だけの話しと思っていたが、ついに現実のものとなってしまった。
海外のことはともかく、日本でもこの原稿を書いている時点で東京、大阪、京都、兵庫に3度目となる緊急事態宣言が発出された。
こう書くとどれほど大変なことになっているかというような感じを受けるが、現実には実感がまるでない。不謹慎に聞こえるかも知れないが実際にそうだ。
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飲食店や大規模な商業施設は閉じているところが多いが、それでも国民がみんな家に籠って感染症に怯えながら戦々恐々としている・・・ということはない。不要不急の外出は控えるようにしているものの、普通に電車に乗り会社に行く人も大勢いるし、なかには遊びに行く人もまだまだいる。
感染すれば重症化することもあるし命を落とすこともある。医療現場は大変だ、それはみんな報道で知っているがなぜか一般市民に切迫感は少ない。
またまた不謹慎な言い方で申し訳ないがこの新型コロナ、どうも感染症としては地味だ。
感染症パニック映画のように電車の中で急に血反吐を吐いて倒れるとか、皮膚の色が急に変わって苦しみだすとか、そういった症状はまったく無い。新型コロナの典型的な病状は37度5分の発熱。
もちろん重症化すれば肺炎になり大変な苦しみになるのだが、最初の症状が37度5分の熱。これはどう考えても地味すぎる。当然緊張感が薄くなりその分いつまでたってもウィルスを押さえ込むことができない。前回書いた1日10本の愛煙家がいつまでも禁煙できないのと同じようなことだ。
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しかし我々落語家もそんな呑気なことばかり言っていられる状況ではなくなってきた。
新型コロナが騒がれだしてかれこれ1年以上。その間ほとんど仕事らしい仕事をしていない。関西には大阪の天満天神繁昌亭と神戸の新開地・喜楽館という定席があり、他にもNGKなどの演芸場があるが緊急事態宣言の間は休館、それ以外でも客席数を半分以下に抑えて興行をしている。
この1年で新型コロナの様子がだいぶわかってきた。大勢が密になりワイワイ騒いだりすると簡単に感染する。しかし黙って映画や音楽、演芸も含めて鑑賞している分にはおそらく感染の危険性はほとんどない。しかしながら変異型ウィルス等のこともあり、寄席の方でもお上からのお願いを受けて人数制限や休館などの対策を取っている。
また我々芸人が余興とか営業などと呼んでいるいわゆる呼ばれて行く仕事、これもまったくと言っていいほど無くなっている。そらそうでしょう、この時期に人を集めてイベントをしようと考える人はいない。提案したところで周りから反対されるに決まっている。なにも今しなくてもいいだろう、コロナが収まってからで・・・そうなるのは当然。私が担当者でもそうするだろう。
さぁそうなってくると収入というものが無くなる。
よく勘違いされているのだが「枝女太さんはよしもとの芸人さんですよね。よしもとって給料安いんしょう」
つまり安い高いは別として、吉本興業から給料をもらっているんでしょうと思われている。間違いです。勘違いです。
たしかに私は吉本興業所属の芸人というかタレントです。でも定額のお給料なるものは一切ありません。仕事をした分だけ戴いている100パーセント完全歩合制。つまり仕事がなければよしもとからの振込みはゼロ。
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ここで収入の大幅減をぼやいても仕方がないので個人的なことはこのぐらいにしておくが問題は寄席、繁昌亭や喜楽館。
前述のようにこの1年間、開場しているときでも客席数は半分以下に抑えている。繁昌亭でいうと固定席が216席あるが現在使用可能な席は102席。半分なら108席になるところだが最前列を全部潰しているので102席。それはいいのだが問題はその102席が満席にならないということ。
昼席に関してはもともと高齢のお客様が多い(落語はあまり若い人は来ない)ということもありやはりこの時期は敬遠される。夜席は夜席で、終演後寄席から出ても飲食店が時短要請でどこも開いていない。寄席を見たあと食事もできない状態。これでは足を運ぶ気にならないのも無理はない。
けれど見方を少し変えると今ほど快適に寄席を楽しめる時代はない。なにしろ客席は半分に制限している。ひとつ飛ばしだ。となりの席には誰も来ない。荷物も置ける。
実際寄席に来てくれた知り合いの女性(少々おばちゃん)は「良かったわぁ、となり誰もいてへんからホンマゆったり見られたわ。となりに汗臭いおっさん座られたらいややもん。また呼んでや」
汗臭いおっさんだってとなりにやかましそうなおばはんが座られたらいやだろうけれども。
しかしこれに慣れられてしまうと少々困るのだが・・・。
だが現実にはひとつ飛ばしどころかふたつ飛ばしのような状態だ。まぁコロナやから仕方がない・・・。うん? 本当にそうだろうか?本当にコロナのせいなのか。
最初に書いた大きな危機というのそこにある。