2回にわたり、笑福亭里光師匠にその過酷な仕事内容や思い出をつづっていただいている「お茶くみ」について。
一番下の身分である「お茶くみ」前座は日々多すぎる労働量に追われています。しかしコロナ禍において、その仕事内容が変わったのだとか…?
お茶くみから見る寄席の昔と今。お楽しみください!
お茶くみ、昔と今
こんにちは。
笑福亭里光です。
これまでダラダラと書きましたが、
お茶出し・下足の出し入れ・高座返しを並行してやるのが「お茶くみ」なんです。
ですから一番下っ端が一番大変です。
労働量が多すぎです。
んでもって、先輩からは虐められる。給金も安い。
せめて後輩が入って来ないかぁといつも思ってました。
虐め返すとかそんなんじゃないですよ!
先輩から受けた嫌なことを後輩にやる。そんな奴は最低です。
そうではなく、早く「お茶くみ」から解放されたかった。
ところが運も持ってなかったんですね、なかなか後輩が入ってこなかった。
僕までは立て続けに入ったんですけどね。
だいぶ前に書きましたが「もう24人目よ!」って言われてたし。
それが僕でピタッと止まってしもた。
少なくとも丸1年は「お茶くみ」でした。
それがですよ!!このコロナ禍で接触を減らすために下足とかお茶は自分でやることになった。
あんなに苦労した下足とお茶を今の前座はやらなくて良いんですよ!!!
ご時世で仕方ないとはいえ、なんだかねぇ。
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そういえば新型コロナの新規感染者数も減ってきました。
緊急事態宣言も解除されました。
長かったですねぇ。ま、これで完全収束という訳にはいかないとは思いますが。
東京の寄席はお客様も随分と減りました、なんて言います。
ここ数年(コロナ禍の直前まで)と比較しますとね。
僕がこの世界に入ったのは1998年(平成10年)。
ですから、ここに書いているのは20数年前のこと。
その頃と比べるとお客様はちょっとも減ってない。
却って増えてるかもしれない。
そりゃ(お客様を)集める芸人はいましたよ。
そこは昔も今も一緒。
問題は寄席です。
酷かったですよ。客席に10人もいらっしゃらないことなんか日常茶飯事。
ある寄席などはお客さん来るまで開演時間を遅らせることもありました。
で、やっと一人が入ってきたので慌てて始める。その人を帰さないようにガン見しながらやる。
その方も気の毒でした。トラウマになってなければ良いんですが・・
「逃げる」きっかけを与えないようにわざと中入り(休憩)を取らないこともありました。
こちらも必死やったんです。
だからね、今の若い子たちは贅沢ですよ。羨ましいですよ。
(お客さんが)少ないとはいうものの「形」にはなってますから。
それに「正直な」お客様が多い。いわゆる「サラの」お客様。
昔は「通」ぶった嫌な(態度)のお客さんが多かったですよ。
楽屋は重労働やし虐められるし給金も安いしお客さんは少ないし態度悪いし。
前座のような若者にとっては夢も希望もなかったです。
じゃあ、お前は何で落語家になったのか!?って?
頭おかしかったんでしょうね。