笑福亭仁嬌師匠の師匠、笑福亭仁鶴師匠は売れっ子。ですから、お稽古の時間がなかなか取れなかったのだそう。忙しい中、お稽古をつけていただいたことは大切な思い出になっているとのこと。その時の思い出をつづっていただきました。
笑福亭仁鶴師匠の落語への想いが伝わってくるエピソードです。笑福亭仁嬌師匠の思い出、一緒に感じてください。
稽古やあ・その2
師匠に弟子入りをしてひとつの大きな楽しみは芸名である。どんな芸名を頂けるのか、それは全く予想が出来ないので面白い。仁鶴の弟子は全員「仁」の字を頂いている。「に」と読むか「じん」と読むか二つに分かれる。仁智仁福が「じん」で仁雀仁扇が「に」であった。
さあその芸名を頂いたのが入門して約三カ月たった昭和52年7月10日であった。奥さんから「今日芸名を付けてくれはるよ」と聞いていたのでドキドキであった。
稽古をつけて頂くので弟子三人は浴衣に着替えて正座をして師匠が来られるのを待っていた。
そこへ師匠が三枚の短冊を持って入って来られた。その短冊に芸名が書いてあることは分かった。
師匠は座布団に座るなり短冊を見せて「ジャンケンせえ」と仰った。
弟子としては顔が引きつりそうな洒落であった。
まず山澤さんが受け取り次にわたいが「ありがとうございます」と短冊をいただき、最後に西河さんが受け取った。
師匠はそれぞれ指をさして「仁勇、仁嬌、仁幹」と芸名を付けていただいた。
「仁嬌」と初めて聞いた時は「え~、にきょう?なんかええことないなあ」と思ったが奥さんから「仁嬌の嬌は愛嬌の嬌やで」と聞いたとき「ええ名前やなあ、愛嬌の嬌か、最高の芸名や、俺にぴったりや」と思い直した。
芸名とはえらいもんで、その頂いた芸名らしい芸風になるもんである。師匠が弟子に合った芸名をビタッと付けてくれはるんやなあ。
芸名を頂き「頑張るぞー」と改めて決心した記念すべき日であった。
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さて次の年の昭和53年2月5日その年初めての稽古があった。
今まで通り自分が覚えて師匠に聞いていただいて一席終わってから言い回しや仕草の注意を受ける稽古であった。
この日わたいは『初天神』を覚えて師匠の前で一生懸命喋っていた。いつもなら師匠は見台の上に紙を置いてなにか気が付いた時に紙に書き後で注意をされるんである。が、しかし、わたいが『初天神』をやってる時は鉛筆を握らず扇子を上にポーイと投げそれを受け取る、という事を繰り返していた。『初天神』をやりながら「なんかおかしいなあ」と思っていた。
取りあえずオチまで喋り終えお辞儀をしたわたいに師匠は「それはもうそんでええわ、直しようがないわ」と諦めたように仰った。
よっぽど無茶苦茶やったんでしょうなあ、わたいは師匠のテープでちゃんと覚えたつもりでしたが、あかんかったんですなあ。
「これから君には本間の稽古をする」と『つぼ算』を口移しで教えていただいた。口移しは師匠が
「こんにちは、わたいこないだお宅の近所に宿替えしてきましてな」
「そうやてな、ちょっと言うてくれたら祝い物のひとつでもさしてもろたのに」
と本番のように弟子の前でやっていただき、それをその場で弟子が覚えてすぐにおうむ返しのようにやるのである。
余り時間が無かったので前半の10分くらいをやっていただいて時間切れとなり師匠は仕事へと行かれた。
さあ忘れんようにすぐ紙にダーと書いた。
今思うと入門して1年も経たないのに『つぼ算』の稽古をつけて頂くとは・・・・
あーありえへん。『つぼ算』はもっと年季を積んでからでからでしょう。
なんで『つぼ算』やったんやろ。聞いておけばよかった。
何にいたしましても、有り難―い『つぼ算』の口移し稽古であった。